表面的になぞってる話はつまらない
そんなふうな、経験はないでしょうか?
実は理解が浅いのに、その話してる本人が
そういう認識がなく、さも自分は理解してるのだと
やられると、しらける、ということが
ありそうです
理解というのは、一定のとこと、知識に支えられてる
ということがあります
この知識というのが、結構やっかいです
どのレベルの知識なのか
絵を見に行くのが好きになって
なにかしら、絵のこと、アートのことを、文章にするのが
増えました
そのとき、気を付けたほうがいいのは、画家と画家を
比較するということだと、最近思うようになりました
ある画家が、別の画家に影響をうけるのは、相当、普通のこと
いいかえると、画家が別の画家に影響受けないということは
ないといっていいのだと思います
今年みた、展覧会の例でいうと、小野竹喬はセザンヌの影響を
うけたなどと、でてきます
このとき、セザンヌを全く知らないとなると、この文章は
いっきに、わからないものになってしまいます
実はセザンヌは、みても、まだ自分にはその良さは
わかりません
だけど、セザンヌの絵というのは、おそらくはその構図が
セザンヌ以前より、各段に斬新で、そういったいくつかの
ことが、くろうとの画家には、とても興味深い、すごくみえる
らしいということは、自分は知っています
それだけ、かもしれないですが
この画家は、セザンヌの影響ということが、そこそこ
こんな感じかと、イメージできたりすると、一応話には
ついていけます
この上記に書いた、私の絵のまわりの「あやしい」といっていい知識も
それなりに、時間をかけて、頭のなかにいれた、ものだったりします
ですが、まだ上っ面といっていいかもしれません
美術のつながりでいえば、ある作品だったりある画家を好きになって
くりかえし見るということで、その画家のもっていた、なにか
美をとらえる、ヒントみたいなみのに興味があるとします
その点で、いろいろ、絵ってこんなふうに考えて
描いたりするのかというのが、頭に残るという感じでしょうか
こんなふうに、書いていて
やっぱり、自分自身、アートに対しては、まだまだ表面的なところに
いるなと思います
もちろん、それで楽しむことができるなら
それでも、(人に悪影響などないと仮定すれば)いいのだと
言えます
今、自分がどんなふうな、ポジションで、理解のポジションといって
いいかもしれません。そのどの程度か想像しながら
できれば、謙虚に、知ったかぶりでなくいたいなと
思うのでした