素朴な料理

野沢温泉、住吉屋という旅館があって
とても、なかなか、いい落ち着ける雰囲気が
あります


「とりまわし鉢」といって、郷土料理が
だされますが、これが、なかなか、素朴ながら
いい感じなのです


いい感じ、郷土料理といったのは、聞くところによると
お祝い事などがあって、人が集まったときに
その土地みんなで、食べる、そういう料理
ということです


いもなます 塩煮芋 きくらげ 花豆 ぜんまい


飾りはない、実質ですという感じです


実際のところ、日本の郷土食というのは
こういうことを、言っていたのか、とこの料理を
食べて、思います
材料も、作るのも、いいものをだせば、ほんとに
おいしい料理になる。やさしい、味になる
ということですね


旅館の食事というと、山のなかでもお刺身だったり
高そうな、牛肉のなにかしらだったり
そういうことが、多いのが、よくあるものです
なにかしら、高級感がだしたいということ
かなとも、思います
ですが、実際、飾らないもので、おいしさを
だすのは、結構大変ですね


この料理に対する考え方、実際、人といっしょに
なにかやるというときにも、通じる考えですね
人と、なにかするときに、まずなにをやるのか
といったことを、丁寧に、意識合わせする
そうしたことが、大事ですが、そのところを
あまり、できずに、先に進めるなんてことも
多いように、思います


人と、いっしょになにかする
プライベートなら、「旅」でしょうか
人と仲良くなるのに、旅をするのはいいと、
聞いたことがあります。どこかにいきつくための
旅でなく、旅そのものを、楽しむ


人と、いっしょになにかする
ビジネスなら、いっしょにプロジェクトを
やりますか?ということで、そのプロジェクトの
目的をしっかり、受け止めるってことが
大事です


料理、と、頭に浮かべてみます
作った人が、おいしくなるように、と、心が
こもった料理は、おいしいものです
素材のよさを、引き出す、そういう気持ちがあったら
とてもいいですね


人との出会い、についても、その人の良さを
感じて、その良さが生きるような、なにかを
できたら、いっしょにしたい、そんなふうに
思うと、生きることが楽しいですね

なんでも、やっていこう

最近知り合いになった、やはりシステムを
作る会社の人と話していて、「ある社員は
なんでも、やってやろう」という気持ちがあって
とてもいいです、という話を聞きました


自分がやったことのない、システム、プログラム言語
使われてるミドルウェアとか、そういうことに
触るというのは、技術者にとって、刺激となって
いいということもあるのですが、一方、納期があって
成果を求められる立場として、そうそう、簡単に
手が出せないということも、ありそうです


でも、未知のことに、やっていこうじゃないか
という、気持ちは、必ずもっていてほしい態度
とも言えそうです


「会社」といううつわで、システムであり、技術のこと
そうした、新しいことを、やるということが、ほしい
ことを、やるというとき、ここに矛盾が起こりやすい
こと、というのが見えてきます


会社は、利益をださなければならない
そうしたとき、「効率」、つまり、QCDの考えというのを
忘れてはできないのですね
一方、効率といったことに「とらわれる」とすると
技術者だったり、技術でなにかという、ことを
大事にしたい、人、チームには、足枷になります


このあたりは、どちらか一方に固執ということに
ならない、スタンスということが、求められます


そういうことが前提のうえで、なんでもやってやろう
というのは、「ほしい、態度」と言えないでしょうか?


ある案件を実現していくのに、選択肢をだす
ことができて、そのうえで、あるときは
工数は少し余計かもしれないけど、次のことを
考えて、ある新しいなにかもとりこんでみる
また、ある場面では、他に工数をさきたいと
合意してるから、最小の工数になるものを、とる


こんなふうに、思うと、ユーザの投資という考え
だったり、もう少し広げていくと、経営そのものの
スタンスが、やっぱり、いいなといえる、環境で
仕事するって、とても大事だなとも思えてきます


なんでもやっていこうじゃないか
このことを、逆から考えると、より素晴らしいことも
感じますね
いまは、これしか、選択肢はない、という頑なさ
ということが、見えてくるように思います


技術者といっしょに、今後のことを考える
そういう場面になると、やっぱり、自分の可能性が
広がるような、未来ということが、すべての前提に
ないと、後ろ向きの会話になります
ゆえ、ついつい、風呂敷を広げるような話は
多いとも、言えます


そうなのですが、風呂敷を広げたときに、その風呂敷に
入るのは、こういう選択肢ですよと、答えてくれる
それが、ひとつの技術者のほしい態度といっていいのでは
ないでしょうか?

空(から)になる

旅、非日常に自分を置いてみるということ
この、自分の中を一度空にして、リフレッシュする
ということ、あこがれもしますし、何度か挑戦も
するものです


はたして、どうしたら、自分のなかを「空」に
できるのか?


ひとつの方法というか、やってみることは
誰かの視点をもってみるということかなと
思うのです


大好きな、長野県安曇野市の風景
この広く、山がみえる、胸のすく思いがする景色について
山下大五郎という画家が、描いています
そして、その絵をみて、その景色の美しさを
改めて、思うということがあったのですね


画家が水先案内人の役割をしてくれて
それで、その場所の美しさに気づくということ
これはとても、あっていいというか、画家という
素晴らしい目の持ち主に導かれるということは
すごく、楽しいこととも言えます


同じ信州にて、2年ほどまえ、偶然にも
「君の名は」の聖地と思われるところに
行きました


逆に風景が、その作品だったり、作者のなにかを
導いてくれたといっていいでしょうね


誰かが美しいと、思ったところに
共感したくて、行ってみる。とても、楽しいひとときです


海をみるというのは、結構海が近いところに住んでいた
自分としては、まあ、多いパターンの、休日の
過ごしかたといっていいでしょうね
海の、特に夕陽をみれるころだとか、うまく
時間と場所と天気とかが、あわさると
あれ、こんなに素敵な色、こんなに素晴らしい広がり
なんて、思いもしなかった、自然がみせてくれる
ショーに出会うことがあります


そんなわけで、旅がいいのです
長くはできなくても、ショートトリップでいい
気分を変えるには、旅がいいのです


たとえば、一日、好きに使える週末の時間が
あったとして、「ここ」と決めないで、ぶらぶら
するのも「手」ですね


その場所、その土地の面白そうなもの、景色
そして、店にいってみるということ。楽しいことです

 

街中だとしても、海がなくても、川もなくても

なにげない、建物だったり、影だったり、ちょっとした

風景に出会うことはあります

 

 

お店には、何か不思議な存在感のものがあったり

店主の思いが見えたり、そんな楽しみもありますね

ぶらぶらするっていうのも、「空」になる、ひとつの

方法といっていいでしょうね

1 on 1

この言葉は、どうも「流行り」ということもある
ようです。1:1で話す。流行りになること自体が
問題というふうにも、見えます
絆ということが、東日本大震災の後、キーワードとなって
あちこちで聞かれたということがありました
これも、ひとつのスポットをあてれば、おかしな話なのですよね
人間、もともと、いつの時代でも、ひとりでは生きられない
ものです。そうなのに、東日本大震災という災害が起こったとき
あ、ひとりはやばいんだと、気づく


実際のところ、「やばい」と思わないと気づけない
そういうことも、人間の一面を表しているといっても
いいかもしれません
けが、や、病気をしてはじめて、当事者の気持ちに気づく
ってこと、くりかえされることです


1 on 1
ここで、伝えていくということがあること
これが大事です
当社では、社員の成長、行きつく先に、ひとりひとりが
自己実現してることと、掲げます
そうしたとき、自己実現するための、必要条件といっていい
承認要求を満たす場に、仕事してる、その場がなっているのか
このことを、確認したくて、話します


承認要求を満たす場。
このことも、承認してほしいことを、本人がずっと持っていて
その承認してほしいこと、たとえば、仕事のある部分への
理解と、実践する自分のスキルの習熟にあったとしましょうか?
システムの設計書から、テストケースを洗い出すスキル、と
しておきましょう。そういうことに取り組んで、ひとつの
自分としては、成果がだせた。一見、見落としてしまいがちな
テストケースを、洗い出し、さらになぜそのテストケースが
有効なのか説明もできる、そういうところに、自分を
もっていけたとしましょう


こうした、本人が自分自身を、こういうことができるように
なろうと、やっていて、努力もしてる。そういうことを
理解、また見守って、確かに、努力のかいあって、チームにも
貢献し、仕事そのものの、品質向上に役立つものに、なってると
したら、大いに、褒めて、大いに本人の成長を、いっしょに
喜びたいですね


こうしてみると、褒めるということと、本人のやってることの
理解、見守りということはセットなんだということも
わかります


技術者と話しているとき、はたして、この技術者はいまどんな
課題をもっていて、それにどう取り組んでいるのか
このことを、よく気にして、話題にだします


あるプロジェクトで、一定の役割を一人称で担ってる
そういう立場の技術者が、いつも、なにか足らないなと、感じてる
そういうことは、封通に起こることです
スケジュール守り、品質を保つために、必要なリソースを
投入するわけですが、ときに見積もりの甘さだったり
横入りのなにかしら、さらに、メンバー間のコミュニケーションの
足らなさによる、ミスなど、いつも起こるものです
そこから、工数の不足、工数を埋めるために必要な人の
能力、人柄、そして関係性の足らなさ、などなど。


だから、現在進行形で、人の能力がのびて、その足らないことを
補える状態にする、そういうことを望むのです


今年、当社では、社内のチームのなか、そこらじゅうで
承認要求が満たされる、そういう場面がみられるように
していきたいなと、思いました
そのことが、次のステップに必ずつながると、思うからです

 

ギャップを感じて

なぜ、あいさつをしなくては、いけないんですか?
こう、ずっとうえ、一回り半も年上の先輩に言った
という社員、そうした報告を聞いて、びっくりもし
どう対応しようと、困りました


地域のコミュニティが、希薄になり、家庭においての
しつけ、小学校、中学校、そして高校、大学においても
人間と人間が、いっしょにいるときの、マナーの大切さ
そういうことを、教える場がないということが
言われて、久しいです
これは、私自身、いま50代の後半ですが、そう三十数年前
自分が社会人になったときに、「おまえたちは、先輩を
先輩とも思っていない」「敬語を知らない」などと
さんざ、毒づかれたのです


しかしながら、いま、世代のギャップを感じてる、冒頭に
書いた、あいさつはなぜ、みたいなことは、だんだん
そうした、ギャップ、であり、伝わらないという感覚は
どんどん広がり、ひどくなってると思ったほうが
いいようです


日本人は、相手の考えてることを、察するということは
普通だ、などと、例えば、欧米との文化の違いの本などに
でてくるのですが、そんなことはもうなくて、いいとも
思えないですが、相手のことを、慮る、察するなんてことは
いまの世代には、??なのかとも思ったりします


もちろん、こうして「嘆いてる」だけでいいとなんて
思っていなくて、そういう相手でも伝わるなにかをしようと
試行錯誤はします
「会社」は守ってもらう、ルールだったり、やってもらう仕事
そして、その仕事をするときの狙い、社長の思いがあって
そのことが伝わっていかなければ、やはり、「いい会社」とは
ならない。そう思うからです


どうやっているのか?
どうやら、若い人にも、私にも共通の思いは、「誰かの役にたちたい」
なのだと、気が付きました
兄弟もとても少なく、地域コミュニティが希薄、場合によっては
(地域コミュニティを)感じたことがない、となると
誰かのために、なにかしたということが、極端に少ないのですね


どうも、私自身育った場所は、「下町」の風情がまだ残っていたから
でしょうか、近所のおじさんに、しかられたこともあるし
毎日、家の外にでれば、誰かした歳の近い子供がいて、遊び相手には
困りませんでした。


そういうなかだと、たとえば、けんか、ですね
けんかするのは、子供だったら、普通なのですよ
だけど、上級生の子供が見守り、「素手でやれ」とか
「目とかをやるな」といった、けんかの仕方というのを
覚えさせてくれました
そうした、身体で覚える、人間関係の最初があって、子供時代が
健全に育っていくように思うのですが、そうしたことがないと
なると、どうなるのでしょうね


誰かの役に立ちたい
そうした思いから、人に教えることの、大切さ、楽しさ
そして、なにより、教えるということは自分自身に役に立つのだ
といったことを、伝えていきます
その点から、接点を作ろうとしています


やってもらうと、教えるということが、うまい人が
いることが、わかったりします
また、教えてもらう、「キャッチャー」としてうまい
人もいます
学びあうということにつながっていきます


いままで、3回ほど、私が企画して、一泊二日で、テーマを
「人に伝えること」として、研修をやります
なにか、ひとつのかたまりの事実を伝える。そのニュアンス
背景といったことを、できる限り、正確に
これ、実際やってみるとわかりますが、結構とレーニングが
必要です。伝わるということが、大事なんです
言いっぱなし、では、意味がほんとに少ない


誰かの役に立ちたい。これは大事なキーワードです

ギアを変える

ギアを変える
この言葉、テニスの中継で解説者が使った言葉です
つまり、相手が、ギアをあげてしかけてきたとき
テニスでいえば、スピードを変えるとか、際どい
コースをつくとか、決め球といったことを、使う
こうしたときに、迎え撃つ自分としても、ギアをあげて
それに相対していくということが大事と、でてきました


仕事でも、ギアを変えるって必要とも思うのです
ある仕事だったり、ある時期、仕事へのギアを
あげて、対処する

 

いきなりですが、あなたの生きる目的を、話してください
と、言われて、すらすらと、一文で、ひとつの目的を
上げられる人がいたら、その人はすごい人だと
思います


組織、チームにおける、目的を達成していくこと
これは、チームであり、組織への関わり方が深く
大きければ、その目的ということが、重くなります


一方、そのチームへの関わりはライトなものであれば
一直線にそれは、言えたりします
たとえば、趣味でスポーツのチームに参加してるとして
その目的は、「健康増進」ですとかね


生きる目的、なぜ生きるのかといったことを
まじめに生きていれば、全員、模索しながら生きてる
それが、ぼくらの人生だと思います


こうした、重いテーマは模索しながら
社会人として、所属する、生活の糧を得る、企業に
所属しているとき、その企業においての、自分のポジションとは
その企業に、自分が貢献してることとは?となっていって
なかなか、その存在目的なるものを、すっきり、言えて
その存在目的を、より輝くようにするために、シンプルな
行動、トレーニングを続けていますと、なるのが、なかなか
難しかったりするのだと、想像します


だから、とも言えます
ある一定の期間、1年となると、大きいのかもしれないです
半年、3か月ということも可能かもしれません
ある目的を達成すると、仮定し、そのことが、金科玉条だと
一番大切と、思いこむことで、やってみるといった
方法が大事とも言えます


一定期間、やってみて、はたして振り返ったとき、どうなのか?
エネルギーを自分として、一番多く注いだとして
どうだったのか、一番注力するそういう状態から
通常のモードへ移るとき、なにが違い、それにより、やってることの
意味、効果はどうちがってくるのか?


こうした、「ギア」を変えた、いったりきたり
ということが、できると、自分の存在目的というのは
見えてくるようにも思います

 

時間をかけるということ

他人と、意見交換といったこと
その相手が、なにかしら「味」を持ってることで
ぐっと、その意見交換というのは、楽しくなります
「味」を持ってる、それはなにかの「プロ」ということ
とも、言い換えられます


意見交換とは、言えない、一方的に教えてもらった
ということになるのですが、備前にいって、作家の方と
話したことは、かなり、自分としては、印象に残る話でした


「時間をかける」ということでした
その方でいえば、陶芸。基本ということを、いかに
時間をかけてやるか?
陶芸の道に入り、最初の5年間、土、つまり材料となる
土をいじるだけでしたと。うつわ作りはやらなかったと
おっしゃった。


陶芸は、土と、火が作り出す、芸術ですね
土が大事なのは、誰もが認めることです
ですが、土を作る、土だけ、5年間という時間に
ちょっと、くらくらしました


時間をかける、ということ
自分がやりたいと思うことに、時間を使うということ
私たちの仕事である、ITの、目指すところは
人の、手間といったことを、省き、利便性をあげる
といったことを、目指すことがよくあります
それは、きっと変わらないのです
一方、仕事であり、生き方といったこととなると
「時間をかける」ことが大事となる


「手が覚える」「体が覚える」
ということが、大事、ということもあるようです
スキーをずっと楽しんでいます
年に2回くらいのスキー。1年たって、ゲレンデにたつと
はたして、滑れるのかななんて、思うのですが
身体が覚えているものですね
滑りだせば、感覚がもどっていきます


生きるときに、どんなことに時間をかけて
どんなことを、続けてやるのか?
実際のところ、40代も後半になってから
美術をみるということを、やっと?覚えることが
できました
そういうなかで、備前の人の話も聞くことが
できました


生きるということ
そのことが、時間をかけることといってもいいかも
しれません
理想を追うということは、「生きる」ということにぜひ
ほしい、態度でしょう。だからすぐできなくても
ずっと努力しつづける。そうしたことはとても、やったほうが
いいことだし、そうしたことに気づいた人は、おそらくは
どこかで、そういうことを、やり続けてる、そうなのだと
思うのです


「道」ということがついた、日本の伝統的なこと
きっと、続けてる人は、常にレベルアップをめざしてるのでしょう
すごいことですね