理想を持つ

技術者はどう生きたらいいか
この問いに対して、帰ってくる言葉は、技術者の
人数分あっていい


ひとつの技術にふれて、その技術を使うという
ことについて、習熟するということ。このことにも
レベルがあるだろうという。その医術について
どんな考え方の背景があり、どうしていま自分が
使うのかということについて、自分なりの意見をもち
進めるということは、技術者の王道といっていい
やりかたなのでしょう


こうした話を聞いたときに、思い出すのは医者の話だ
医者は、ずっと学会などに自分の意見をだし
関わり続けることを求められる。それは
ちょっと考えればわかる。つまり受診する側にしても
いまの最先端の医療の考えを知って、そのうえでやってほしいと
望むからだ


私は昨年、網膜剥離の手術をうけた。実際全然しらなかったのだけど
いま網膜剥離の手術は、眼球に穴をあけて、網膜をはりつけていくという
ちょっと聞いたら「えっ?」と思うような手法を行う
それで、実際自分のいま、目がまた視力を回復してることを
思うと、すごいなと思う。そうなのだけど、手術のなかでは
当然いつくか選択肢があって、いろんな症例を知ってる、医者が
適切な判断をするということがあると思う。この適切なについて
結構学会では見解が変わるということ、これは理解できると
思うのだ


こうした、学会の動きみたいなところを、技術者が触れる
技術の最先端ということについて、ある面、似てると思ってもいい
世界はあると感じる。そして、おそらくその意見が変わるというような
ことは、自分がなぜ学会でゆれるのかということを理解し意見を
言えるだけの、知識と経験、いろんな背景をもっていて
しっかりうけとめられると理解する


科学技術が万能ではない。このことはもうみんな気づいていいことだ
しかしながら、科学技術のなかで、進化することがあり
そのことを知ってるということも、技術にどっぷりつかった我々の業界の
人間なら、知っていなければ、やはりメシが食えないし。重要な
ことにはちがいない


そんななかで、やっぱり思うのは、自分が医者に相対するとき
知識などでは全くかなわない、という不安がある。だから、よく
説明してくれる医者はいい。インフォームドコンセントという
考えがあって、それはたぶん、そうとう広がっている
技術者にしても、自分が大事に思ったり、いいと思った技術について
味方になってくれる人、利害関係があって、ときにいっしょに仕事
する人には、ていねいに、自分の理解を伝えておくということが
大事だ
それができなければ、やはり広く理解をえて、いい仕事をするというのは
難しくなると感じる