土鍋と親しむ

鳥取県の岩井窯で求めてきた、土鍋は
湯豆腐には欠かせない、道具になっています


豆腐が、まさにおふろにつかるように
ゆらゆら、少しする、そのタイミングを
みて、食べます
ぜひ、そのゆらゆらの感覚を楽しんでほしいです
ぐらぐらさせては、豆腐のおいしさが
とんでしまいます


こんなふうに、湯豆腐を楽しめる気持ちを
もっていたいと思います
余裕があって、おいしいものをおいしいといって
食べられる。微妙な味をわかっている


それは、「人の気持ち」にも通じるものと
思っています
人の気持ちも、揺れ動くもの
微妙なことで、気づいたりすると、思っています


湯豆腐を食べる、たれは、自分で作った、「かえし」と
かつおだし、そこにまた、しょうゆと、だいだいの果汁を
いれて作ります


かえし、は、しょうゆ、うすくちしょうゆ、みりん、酒を
まぜておいて、ねかせておいたものです。1か月は
ねかせておきたいものです


料理を作るということは、ひとつのやり方として
ある人と、いい時間を過ごす、そういうことを
想像しながらやると、楽しいものです
そういうとき、「鍋」は強い味方です


人間は、火を囲むということが、おそらくは
人が人として意識するまえ?からあったでしょう
その空間、行為がいいとか、うれしいとか
そういう言葉で言い尽くせない、根源から求めてるというか
そういうものと思うのです


ですが、どこか特別な場所でないかぎり
囲炉裏を囲むなんてできないですよね
そこで、「鍋」です
ひとつのあたたかい、鍋をつつきあうことで
楽しく、火を囲んでるような、気持ちになれます


手間をかける、というのは、ある意味
その手間をかけて、いっしょにものを食べるとか
その相手を思う、時間になって、貴重なことだと
思います


土鍋があって、湯豆腐というシンプルさを思うと
いい時間が過ごせるように思います