料理の話

自分が料理するということは
とってもいいことと、自画自賛しています


料理こそ、楽しみと思ってやれば、とてもいい自分に
とって楽しい、かつ自分になにか「生まれる」感覚がある
素敵な時間になるといっていいです


料理、やらなくてはなならない、やっかいなものと
して、とらえれば、まさに「義務」だったり「やっつけ」みたいな
イメージになって、食べるときも、うれしくなくなります


こうやって書くと、仕事といっていいこと、自分のまわりにも
おそらく社会人となっている人には、必ずあると思うのですが
どういうふうに、自分がとらえるかで、全然ちがうものになるという
ように、感じますね


例え、他の人だってできるかもしれない。自分がやらなくても
誰かがやるかもしれない。そしてそのほうがうまくいくかも
しれない。だけど、その場、そのタイミングで自分がやる
ということが求められれば、やるのです
で、「やるのだったら」→「よりよくする」これを、前向きな
気持ちでやりましょうと、言います


料理ってなものは、なにか工夫であり、自分の学びといったことが
はいると、面白くなっていきます


昨日いただいた、湯豆腐でいっていますね
もちろん、おいしい豆腐を選ぶということも大事(人によっては作るかな?)
そして、いい水、いい鍋で湯加減を気にしていただくと
これ以上ないという、うまい湯豆腐ができます


誰かの本に、うまい豆腐屋のそばに住んで、毎日買うというのが
贅沢などということが書かれていました
いいえ、豆腐好きな自分としては、少しわかる感覚です


いい鍋、ということ。実は今年、土鍋を新調いたしました
土鍋というのも、消耗品という言い方もできるそうですが
やっぱり、大事に使えば、それだけもつのだと思っています
土鍋、ときどき、かゆを炊きながら使うというのが、いいのだと
聞きました


土鍋だと、豆腐のあたたまりかたが、ゆっくり、やさしいのです
まるで豆腐がいい湯加減のふろにはいったような、塩梅です
そのいい感じに、あったまったのを、いただくわけです


こんな工夫、気配りができて、おいしい湯豆腐がいただけます
このことがわかる、そんな自分でいたいと思います


料理がなにかを、教えてくれるということもありそうです
「火」と、いろいろやる面白さというのがあるように思います


3年ほどまえになります
そのとき親しくなりつつあった人から、キャンプに誘われて
「ピザ窯」がある、キャンプ場で遊びました
「ピザ」自体のあれこれはここでは書きません
そのピザ窯においての、薪のあれこれが、面白かった


火を一定のところ、いい感じで燃やし続けるのに、薪を
タイミングみて、足していくということがあるのですが
それが、面白いというか、学びがあったのです
おおざっぱに言えば、火が熾ってるとき、かなり太い薪も
素早く火が回って、火が足されます
そうなのですが、あるタイミングをはずして、火がさがっていくと
そうはいきません


火を守るってのは大事だな、また、これやるだけでも
なかなか、技術といっていいものがあるなと思いました


その大きい火で、焼くピザのうまかったこと
なかなか、できない体験だと思いました


料理で、自分が進化するなんて、続けたいですね