旅先からの手紙

旅にでて、友達にはがきを書くのが好きです
四月に奈良にでかけたとき、唐招提寺に行きました
まず、最寄り駅から唐招提寺へ向かう、川のある風景の
いい感じなこと。唐招提寺の金堂にて、三尊像をみて
自分の心に、浮かんだ、言葉。その仏様と相対したときの
自分の心の様子


そんなことを、学生のころからの、古いつきあいの、Sさんへ
また、Kさんへ、書きます
それから、ここ10年くらいで、親しくなった、Hさん、に
書きます


先日、松本竣介という画家の回顧展をみました
そのなかで、日記があって、松本は、文章を書くということが
自分の心のなかを、表現するのに、いい手段だと書き、
絵を描くということは、さらに、いいものだと、書いています


絵を描かない、自分としては、文章ということに
なりますが、特に親しい友人にあてて、はがきを書いてるときは
たとえば、その友人と相対してるときとも、またちがう気持ちで
友人に接することができるといったらいいでしょうか


今年の春に久しぶりに盃を傾けた、これまた古いつきあいの
友人Mさんに、「アートに親しむようになったこと」を話しました
そのなかで、ここ2,3年特に、気に入ってる上村松園、の絵の
話をし、また上村松園が手記のなかで、「いい芸術を生み出せる
人は、人格も例外なく素晴らしい」と書いてることを、
披露したりしていました


Mさん、その話を聞いて、おそらくはそうだなと、同意もしたのですが
少し話にスパイスを効かせたくなったらしく、長澤さん、今の
話ですが、太宰治はどうなりますか?と、まぜっかえしてくれたのです


アートを話したりということは、楽しいですね
アートのことを、話せるというのは、まさに、なにか出来事でも
そうだし、人の気持ちの描写ということもあるでしょうし
作家が、アートにしたいと、思うものはすべてそうだと
思うのですが、ひとつ、座標軸の次元といったらいいか、見えるものが
増えるという感覚があります
それは、まるで、ある世界と、複合してる別の世界があって、その別の
世界への「鍵」をもつということといってもいいですね


そんな風に書くと、どうもすごいことができてるというような
ふうな、「ちょっとエラそう」な、自分はすごいんだ的な
文章になってしまうのですね。でも、なにかを楽しむという
態度、そこには「自画自賛」という態度をもつということが
大事な要素ということも、経験が知るところです


先週、信州の道を歩きながら、山を愛でて、そして、鳥たちの
声を聴きながら、なにを、友人に伝えようかと思って
シンプルに、自分は信州が好きなんだ、ということを、思って
いました


山が見えて、空気が澄んでるように思える場所にいると
自分の身体のなかに、いいものがはいっていくような
そんな感覚があります


そうした、自分にはいった、いいものを、ちょっとだけ、おすそ分け
したい、そう思って、ペンをとってるのかなと、思うのです