意識化の原則

卓球の練習をしてるとする
ある日、その1時間練習するとき、「なんとなく」
「昨日の続き」なんていう感じで練習するのと
この1時間は、バックハンドのフォームをよくする
と思って練習するのと、バックハンドはどっちが
うまくなるか?


技術者、として、望ましいのは、そのとき自分はどうすべきか
「課題」をはっきりもってることだと言えます
意識化の原則ですね


社会人になって、いい出会いがあったとします
上司に出合って、面倒見てもらうなかで、ああいいなと
思う。できれば上司のような活躍をしたいと思う
大切な、基本的な経験といっていいです
ところが、一定のところ、時間をかけ、またいろんな場面を
経て、いっしょに仕事していくと、9割以上の人が
そのいい出会いがあった、上司と、自分の違いに気づき
上司のやってること、そのままは自分はできないと
思うのではないでしょうか


人間、「やりとりから学ぶ」というのが、すごく大事だと
思っています
それは真実です。そうなのですが、そうした「やりとりから学ぶ」
のがとても、うまい、達人の域とでもいったらいいかそういう
人が上司だったりすると、そのやりかたをそのままは
なかなかできないと、なってしまいがちです


だから、そのままはできなくても、一定の知識だったり気づきについて
やりとりから学ぶ、以外の方法も併用しながら、やるって
大事になっていきます


こうして、社会人として、2年目、3年目であれば、自分なりの
自分のステップアップの方法というのを、見つけていく
というのが、とっても大切になります


自分自身の若い時の、エピソードをひとつだします
お世話になった上司がいました
その上司のセールスの仕方は、「相手のふろころに飛び込むのが
うまい」でした
この相手のふろころに飛び込む、こと。とても社会人なりたての
自分がまねできることではありません
その人の人生哲学に、根差した、振る舞いによってなせる業と
いっていいのです


そういうとき、自分は自分のやり方で・・・
そうなのですが、実際は結構悩みました
あの人と同じようにはできない。さて自分なりの方法って
どうする?


上記に書いたような、やりとりから学ぶだったり
カウンセリングの本を読み解いたり。
試行錯誤の連続でした


ただ、少なくとも言えるし、やってほしいのは
相手と違う、あ、どうも勝ち目はないな
じゃあ、ま、いいかと、さぼってしまう、そういう態度が
「最悪」だということです


自分のやってることは、のちのちの自分に返っていきます
つまり、いい20代があるからそのあとの30代があり
そして、30代にやるべきことを、やるから40代の役割
やるべきことが、見えるのです


大変ですが、生きるってそういうことだと思います


意識化の原則、ぜひ、実施してほしいと思います

東山魁夷

「年暮る」東山の作品の中でも特に好きな作品
なぜ、この年暮るが、自分の心にはまるのか?
2つの理由が浮かびます


静かさです
ここに描かれた、京都の町。人は描かれてない
だから?ではなくて、冬、雪、そして、日本家屋のもつ
静かさ。


そして、この静かさは、「耐えること」「待つこと」
につながってると、自分のなかの「なぜ」をのぞき込んでいると
頭に言葉が浮かびました


日本人、いいえかつての日本人が持っていたといっていい
耐えること、待つことを美徳として、持ち続けること
こうしたことが、やはりいいのだ、価値なのだと
思う、自分がいます


自分がやってる、人を育てるという行為に照らして
思うとき、人は他人に対して、ある部分、「無力だな」と
思うことに、くりかえしあたります
そして、無力ななか、人の成長を思う時、「待つ」
という行為になると、思いいたるのです


人が育つということを、期待しながら、待つということ
見守っていくといってもいいでしょう


スポーツでもそうですが、やろうとしてることが、ある方向として
正しくて、そのやり方が間違っていなければ、時間はかかるか
別として、人間の素晴らしいところ、やろうとすれば、できるものです
なぜ、できないか?
それは、真剣にやろうとしていない、ということがわかります


そして、やり続ける、継続する力をどこで培うのか
ということが、大事になります


年暮る、のもうひとつの惹かれる、理由
日本の家屋のもつ美しさ、雪の美しさが、重なるハーモニーでしょう


日本人は、美しいものを、作ってきたといっていい
京都の町は、ひとつの、到達点と言っていい
その町の景色の、欠かせない要素として、いまは極端に少なくなった
家屋がある


年暮る、の、家の窓に黄色く、明かりがあるのを
認めます


東山魁夷のヨーロッパ、ロマンティック街道の町を
描いた絵のなかで、ほとんど、「人」は描かれていないのですが
なかに、あ、いまこの部屋に人がいるんだとか
そういう、「気配」が感じられるものがあります
そうした、魁夷の心が、この年暮るにも、あるのです


年始に、東山魁夷の世界にふれて、気持ちがのびやかに
そして、また前向きにすることができました
今年もアートを愛でて、そこからもらうエネルギーを大切に
燃やしていきたい。そう思える、時間でした

上から目線

日経新聞 2020/12/27 『うたごころは科学する』 坂井修一

(一部引用)
決して力強いとはいえないが、リョービンには、人間に必要な
自立心と良識が備わってる。そう、自立心と良識があれば
腕力がなくとも、不器用であっても、地位やお金が得られなくても
しっかりした歩みができるはずだ
(中略)
21世紀のいまは、全然違う時代だ。このグローバル資本主義
世界でリョービンのような呑気な考えでは生きていけない
(中略)
今の世界でも、リョービンのような立場にたつことは、試みても
いいと思う
いったいどうすればいいか


「視野を広くしながら、上から目線にならない」


引用終


このこと、実際のところ、言い方の微妙なニュアンスは
あるかもしれないが、まさに我が意を得たりと思った
言葉です


視野を広くしながら。このあたり、20代から思っていたのは
なぜ、源義経は、頼朝の怒りを得たのか?
永井路子は、中世の幕開けにあって、荘園領主とその雇われだった
貴族と武士の関係を、変えようとしていた、頼朝の時代を開く
考えがあり、それを理解せず、中央政府、院のいわば、
手のひらで踊ってる義経がいたと、語っていますね


こうした、時代変化ということに、しっかり目を開き
ときがくれば、行動もする。そうでなければ、人を指示して
仕事していこう、そういうリーダとしては、失格だろう
そういうことは、思っていました


もっとも、いま、大きな変革の時代といっていいなかで
はたして、自分自身が、義経のような行動をとっていないのか
自戒をこめて、目を凝らしてみる必要はあるかもしれません


さて、上から目線にならずに・・・


上司と部下といった、力関係がどうしても生じてしまう
人間関係において、上司が「強制する」「一方的」
「提案を受け付けない」といった、態度で接するのを
とても、いやだなと思う、自分がいます


そうなのですが、会社という存在を抱えて、その存続、繁栄を
考える、上司として、その考えに沿って、動いてくれない
担当者に、どうしても一部は、こうやってくれ、と、半ば
強制するという事柄はでてくる


ただ、上から目線で言いたくない
できれば、目線はいっしょにして、会社を存続発展にあなたは
どうしたらいいのか?と問い続けたい

 

ひとつ、「学ぶ」「自主的な考え」「前向きな行動」

望ましい行動をしてもらうのに、上から目線というのが

とてもブレーキになってるということを時々感じます

ゆえ、自分が上から目線になるということを、避けようとして

気を配ってるつもりです

もっとも、人間は複雑なもの。私がそういう配慮をしてる

そのこと自体を、いやだなと思う人だっているかもしれまえんが・・・

久良岐公園

生まれ育ったところにある、久良岐公園
散歩してみると、たくさんのどんぐりがあるのに
気が付きます


さて、どんぐり。見慣れているようで
何の木ですか?といってすらすらこたえられる人って
少ないですよね
こういうときは、いまどき、「ぐぐってしまえば」
あらかたのことは、でてきます


日本には22種類のどんぐりを、つける木がある、知っていましたか?


久良岐公園の木々。幹の太さから、200年やそこらは樹齢が
ありそうです。そういう意味で、自生していたと思われる木々も
たくさんあるのでしょう


カシ、シイ、ナラ、ブナ・・・
どれも、日本でおそらくは、とても自然にみれる木々ですね
その木の林のある場所で、冬の一日ですが、小春日和と
いっていい日に、手製のおべんとうを広げて、ぼやぼやっと
した時間を過ごしました


目の前の広場では、サッカーや野球、競歩、にジョギング。
思い思いにスポーツを楽しむ人たちがいます
やっと?歩けるような幼児をつれてる夫婦が
歩くというだけで、いい運動よなんていいながら
歩きます


久良岐公園の背景にある、丘。一番高いところは真光寺という
お寺があり、見まわすと、ランドマークタワーはもちろん
みなとみらい、横浜駅の方向のビル群。ふりかえると
かつて、鎌倉道が通っていたという、戸塚につながる丘
そして、南には、円海山
とてもいい場所だなと思います
そして、すみからすみまで、びっしりの住宅。


横浜は、「坂」が多いのですが、久良岐公園から
磯子駅方向に移動をはじめてみます
久良岐公園をそもそも囲んでる、谷状の丘を越えて
いくと、道路を挟んでまた、今度は下り坂があって
階段になっていて、まっすぐ降りていくとコープのある
汐見台ストアーにでました


ああ、横浜らしい坂だなと思いながら、下り坂とはいえ
息をきらせながら、このあたりを、また海のみえるポイントを
探しながら歩いてみるのもいいななどと、感じます
(実際には家にはばまれ、いろんなものに阻まれ
見えないこと多いですが)


よく横浜に移り住んできた人が、横浜の坂の多さを
言って、坂があるのって大変・・・と話します
確かに。
歩くのに、坂があるのとないのでは、体感的なきつさは
はっきりかわります
だけど、やっぱり坂あって、丘があって
眺望がきくのが、横浜のよさ、ですかね
のんびりとした、一日を過ごしてみました

牛に引かれて善光寺参り

河合隼雄先生が、「カウンセリングを語る」の
なかで、嫁と姑の問題を書いています
この話は、ブログに何回か書いたのですが、とても
気になる文章なので、ここにも書きたくなります


牛に引かれて善光寺参り


なんて不思議なことでしょうか?
強欲なおばあさんが、手ぬぐいを角にひっかけて
歩き出した牛を追いかけて、信州の善光寺にお参りをした・・・


あ、もしかしたら、いま自分が悩んでる人材育成の
対象の若い人って、自分にとっての「牛」といっていいのかも
しれない


そんなふうに、自分自身の行動をなにかに例えて
つまり、絵として、自分の外にだして、眺めてみたとき
いままでと違う気持ちで、自分の行動ということを
知ることができたのです


一般化と特殊化
具体化と抽象化


実際、物事をみてみて、自分のなかによくいれる
つまり、観点を変えながら、どうすべきか考えるとき
こうした、俯瞰してみるということがとっても
大事なのですが、凡人にはなかなかできるものでは
ありません


営業の話でいえば、目の前の商談をとるかどうか
気持ちがいってるときには、その商談が起こった
とか、その商談を当社が取り組んでる、そうした
背景といったことに、なかなか「目」を向けられない
それが、普通の人と、思います


人を指導して、チームを作っていく
そうしたときに、そのチームがどこを目指していくのか
これを、決めるということがすごく大事な、大きな一歩と
なるわけです


河合隼雄先生が、カウンセリングした対象者は
「死ぬ準備をしに来た人」と、河合先生はとらえたと
書いておられます


30代で、この本を読んだときに、「死ぬ準備」という
言葉にぎくりとしたものの、実感として、自分の身近な
ものとして、とらえることが、できませんでした


いま、50代後半になり、数年前に親を見送り
ときどき、自分がリアルに、濃く、つきあった人が
彼岸にいったということが、起こると、すこしずつ
死ぬ、ということ、どうしたら、平静で(は、むずかしい
までも、それなりに覚悟して)虹を渡っていけるのか
そういうことを、意識せざると得ない、そんな気持ちが
あります


人生、生きていくということ
欲、だったり、こだわり、といったことが
ずいぶん、まだまだ自分はまとってるといっていいと
感じます
だけど、なにかがあって、そうしたこだわり、欲と
いったことから、もしかしたら、距離を置くことが
できるかもしれない。そんなふうにも
思い始めます


なにかにとらわれて、私たちは生きています
とらわれてること、ときには、笑い飛ばして
生きてることそのことが、いいことなんだって、思える
時間を大事にしたい、そんなふうにも、思えるタイミングが
あります


ようやく・・・かもしれませんが。

洲之内コレクション

洲之内徹という、銀座に画廊をやっていて
エッセイを書いた人が、好きです
何度目かに読み返す、代表作というか芸術新潮への連載
「気まぐれ美術館」 少し引用してみたい


引用始 


 ところで、昨年(昭和四十九年)の暮、私がちょっと四国の宇和島
行っていて、帰ってくると、その留守へ、金子徳衛さんからの言伝てで
串田良方さんが亡くなったという報らせが届いていた。私は初めて
知ったが、金子さんは串田氏と美術学校の同級生なのであった。金子さん
のほうは、私が「絵のなかの散歩」の靉光の章で串田良方氏に言及して
いるのを読んでいて、私に報らせてくれたのである。
 私は失敗したと思った。ここ二、三年、私はたびたび新潟に出かけているが
私が行くのは主に新発田とか、村上とか、羽越線沿いの、新潟でも
北の方である。そして、いちど柏崎へ串田氏を訪ねてみようと思いながら
いつも、この次、この次と思って、機会を見送っていた。靉光の最期については
串田さんのお陰で多くのことが判明したが、しかし、判ってみて、もっと
詳しく知りたいと思うこともでてくる。それを、直接串田氏の口から
聞きたかった。しかし、それよりも、十年以上も、毎年、命日には
燈明をあげて靉光の飯盒を祭ったというその人に会ってみたかった
靉光のような画家をこんなふうに、殺したということで戦争反対をあげつらう
ことは、誰にでもできる。だが、串田氏の、この隠れた無言の行為に
私は深く心を打たれるからであった。

引用終


洲之内さんの文章の、好きなところ、ああ、とこんなふうな表現
文章を書いてみたいとか、思うところは、たくさんあるのだが
紹介しようと思ったとき、浮かんだ、文章が上記だった


靉光という、いまはかなり有名な画家(2007年に東京国立博物館
遺作展をやったそうな)の、その遺族、それを囲む人の
いいなというエピソードを、こうして取り上げてる
実際、私が絵が好き、画家の生きたあれこれが好きといってるのは
こうした、洲之内さんの絵であり、その作家へのいろんな思い
行動が、影響してるのは、「大」なのです


今年、宮城県美術館にて、洲之内コレクションを見ました
今年の当該の場所で、長谷川潾二郎の猫を、見たいと、私の奥さんが
行って、それが決め手で行くことにしたのですが
他の洲之内コレクションも、見ることができました


この長谷川潾二郎については、このブログでも書いたので
ここで、また書くのは控えます


海老原喜之助の「ポアソニエール」に再び会うことも
できました


海老原喜之助の特集を、横須賀美術館でやったときに
みて、とても好きになった絵です
洲之内の大好きな絵だったと、読みました


海老原喜之助も、靉光も作風はどんどん、変わっていく
ということがありますね
このあたり、どうも、一度気に入った絵なんてあると
作風が変わってしまうのはどうなの?なんて思う、自分がいたのですが
作風は変わっていいんじゃない?なんて思う
このごろの自分もいます


はじめて、洲之内徹のきまぐれ美術館を手に取ったときは
こんなふうに、何度も読み返す、愛読書になるとは
思ってみなかったのです
いま、読み返して、とても、いいのは、やっぱり
レベルが高いというか、いい文章にほかならないと、感じます

若手とベテラン

精神科医の、香山リカさんは
その著書のなかで、10代で、自分の思ったこと
感じたこと、出会ったこと、これは、そのあとの
30年にも40年にも、値する、とても大きくて、大切な
ものだと、記述しています


ええ、確かに。


人間の心、であり、考え方の多くのものは10代に
そのもとを、作っているという感じがすごく、します


思春期という、時期があるのだと思うのです
大人と、子供の中間。さなぎのような時期とも
いえますし、自分という存在を認識して、自分という
摩訶不思議なやつと、どうつきあうのか、迷い、ときに
絶望し、ときに、ノー天気になり・・・


つい、先日親しくしてる人と、「若い」ということが
ひとつの、やっかいな状態を生んでるということで
話をしました


揺れ動く、若さ
なんでもできてしまう、という感覚と、まだまだ自分は
自分さえ知らないという、不安感。


日本ではよく、若いということが、価値、なんてことを
言われることが、ちょくちょくあるようですが、そういわれている
若い世代は、少なくともそうは思っていないのでは
ないでしょうか


スポーツの世界で、「ベテランと若手がしっかり、力をだして
いい働きをしてる」といった、チームの在り方といったことが
でてきます
確かに「あるべき姿」に違いないとも思います
ですが、これ、簡単ではありません
まずは、「表面的」でない、コミュニケーションが成り立ってること
ベテランは、その人のいいところをだして、若手が、力をだせるような
環境を作る、若手はその用意してもらった、ステージで、持てる
力を120%だす、これが、繰り返される


スポーツの楽しみというか、やっていて、おお、いいな
というのは、特に若手、自分の壁をやぶって、前回より
力をだす、これが繰り返してできていうる、ということが
大きなものといっていいのでは、ないでしょうか?


あるとき、若手でなくて、ベテランというか、一定年齢が
上でも、練習をすると、そのスキルは伸ばせるという
感じを、自分の身体で感じることができました


そうした一体感のなかで、若手が大きく伸びれるような
それは、ベテランも、若手とは違うでしょうが、やっぱり
スキルを磨けるような、場面があり、意識してそうする
ということを、やる、のでしょう


当社で、「人材育成」ということが、重要な仕事と位置付けて
だいぶ、時間が経ちました
少なくとも、先輩と呼ばれる、立場になったら、後輩を
どう育てるか?これを意識しない、社員はいなくなりました


そこで、若手とベテラン、後輩と先輩、いかにいい相乗効果を
だすのか?そして、意識して、だしたいときにそうした
効果をだしていくという、方法を、根付かせていくのか
ここが、気になるのです