ランチミーティング

社員を誘って、ランチミーティングをちょこちょこします
そういうとき、いい感じのやりとりができて、理解が
深まったと思えるとき、うれしくなって、次の仕事への
やる気がでます


一方、どうも話が、うまくかみ合わない、もっといえば
お互いの言ってることを、お互いが咀嚼できない、そうした
ことになったりすると、気持ちもへこみますし
なぜ?なぜ?と、頭のなかがぐるぐるして
次の仕事、というか、油が切れた機会のように、ぎくしゃくと
します


私の、人と話すときの、教科書といっていい、河合隼雄先生の
「カウンセリングを語る」には、カウンセリングしてるときに
カウンセリング受けてる側が、する側を「値踏みする」ということが
よく起こるのだと、でてきます


例えば、学校でなにか問題起こした、生徒と先生。
生徒が、たとえば、たばこを吸ったりということで
連れてこられて、お説教みたいな場面としたとき
生徒にしたら、「すいません」「もうしません」とか
しおらしい顔をして、あやまって、先生が説教して
終わるなんてことに、なりやすいと、でてきます
その生徒の、たばこを吸う、背景、吸わずにいられない
そういう気持ちのなかに、入っていくことができない


さて、どうしたらというとき、生徒のほうが、
この先生、自分のもやもやした、気持ちをしゃべっても
だいじょうぶか?通じるのかって、値踏みするというのですね
そして、たいてい、ああ、だめだな、と、やる


こういう話を思い出して、ランチミーティングのとき
うまく話がかみあわないのは、相手が私のことを
値踏みして、ああ、こいつに、大事な話なんてしないよ
そう、思われてるのではないか?
そんなふうに、相手の顔をみていたりします


それから、これも河合隼雄先生の話にでてきたこととも
思いますが、まずは、大事なことのまえに、普通にしゃべれるか
といった、普通、いいえレベルをさげてということでも
話をしてる状態を作るというのも大事とも言えます


私は、会社の社長だったりすると、入ってきて、まだ
数年、それ以下の社員にしたら、どうも、近づきにくい
そういう存在ともなってしまいがちです。そこで
ランチミーティングする
いわば、どうとでもなる、話、スポーツだったり、話題をふる
ところが、これも、だんだん、年齢のせいか、むずかしかったり
するのです
だいたい、同じみてるスポーツなんて、いまはないし
(前は野球はみんなみてた)
あたりさわりのない、会話するのに、「触媒」になってくれる
ものって、以外にみつからない・・・


それでも、ゲームっぽい話(自分はゲームはしないけど
ずいぶん、その話にははいることで、少しだけ、話しては
いられます)アニメの話、キャラクターの話、でしょうかね


いずれにせよ、話をしていれば、なんとなく
相手の関心だとか、様子は、情報がふえます
だから、やっぱり、ランチミーティング大事です

あじさいを楽しむ

山種美術館にて、山口蓬春 「梅雨晴」を見ます
しばらくぶりに、絵をみた瞬間、引き寄せられるように
見入っていました


絵のなかで、あじさいの花がいきいきとしてるのです
陰影が自然で、まさに呼吸しているといったらいいか
この絵、好きになりました


箱根 湿性花園にて、あじさいの展示があります
あの、微妙な青の色の、競演といっていいでしょう
あじさい、いろんな園芸種があって、それぞれ、花の形
そして、色を競ているのがわかります


箱根の湿性花園には、季節の花を楽しめる散歩道が
ありまして、箱根に行けば、必ず行くと言っていい
素敵なスポットです


春の、水芭蕉、6月のあじさい、ノハナショウブ
エゾキスゲ、楽しくみれます。知ってる方は知ってる
「湿原」というのは、植物の宝庫なんですね
箱根、仙石原にひろがる、湿原にみられる、植物を
ながめて、ゆったりした時間を過ごすのは、うれしいことです


都会で、仕事をしていると、花を愛でる、そんなふうな
時間や心の余裕がないように、思えてきます
ですが、あじさい。アジサイはほんとに人気の花で
住宅街を歩けば、あじさいは、ほぼ見ることができる
ようです


暦は、進み、明日は7月ですね
いつだったか、ずいぶんまえ、コスモスと、あじさいが同居するって
ずいぶん、めずらしい?といった話を、友達としたのを
覚えています
ですが、いま、鶴見川沿いの遊歩道をあるいていると、ずいぶんまえから
コスモスが咲いていて、どうかすると、あじさいと
同居なんて、時期からいってどうなのだろうと思うのです


はて?はて


ずいぶんまえの、夏休み
青森県から秋田県にまたがる、白神山地をあるいたことがありました
歩いていると、園芸種でない、あじさい。ヤマアジサイといっていいのでしょうか
がくあじさいより、がくが少ないような、品種です


見栄え、つまりあじさいは、そのがくの多さだとか、色だとかが
やっぱり楽しみといってもいいのだと思うのですが、そういう意味では
色合いも、がくの多さも少ない
だけど、凛、としてるといっていい


自立、自主の誇りがあるように思えて、これはこれで
いいなと思ったのです
さらに、花がある、その山道の空気感。
湿気を含み、植物がいかにも、喜びそうなそういう、空気でしょう


あじさい、も、手入れしてこそ、毎年いい感じに花が咲くと
いいます
手入れなんて、誰もしない、山のなかで、凛と咲く
あじさいも、また、楽しむ
そんな自分でいたいです

 

 

文脈理解力

文脈理解力を、トレーニングするにはどうしたらいいか
スポーツといっしょ、という考え方があります
つまり、野球でもテニスでもサッカーでも、やってる時間の
絶対量をふやすのだということですね
文脈理解力を、要求されるような場面、つまりは
価値観の違う人と、できれば、真面目な場面で
繰り返し話すということが、求められます


そうはいっても・・・
体力だって、時間だって、有限なのですよと声が聞こえて
きそうです。そうですね。できるだけ、効果的な学びは
どうしたらいいか?


基本の「き」といっていいことは、やっぱり、仲良くなるを
繰り返すことではないでしょうか?
私は、いまになって思うに、先代社長との意見を交える場
というのが、本当に自分の財産だなと、思うことがあります


親子ほどの歳の差、そして立場の差
ひとつには、先代社長は、素晴らしい聞き手だった
ということがあるでしょう。自分のなかに、もやもやしたことが
あると、何時間でも話していました


そうした、年齢とか、立場とか違う人と、話すこと
仲良くなること、自分から話したいという要求になるまで
自分のなかで、なにかを育てること。それが大事です


さて、プロジェクトリーダなり、部長なりを目指そうという
皆さん。あなたが、文脈理解力が大事と気づいているなら
きっと、あなたのなかでやってることで、さらに、それを
つきつめて、トレーニングすることで、文脈理解力を
磨けることって、あるんだと思うのです


同じ言葉が、響く人と、響かない人がいる
それは、その人のなかの、成長の種といっていい、なにかしらの
こだわりといったことが、違うからですね
そのこだわりを、増やしたりするそういうことを、してみたら
いかがでしょうか?


どうしたら、そういうことがよくできるのか?
ちょっとまえだったら、共通のなにかをいっしょにやると
言っていたとも、思います
いいえ、それだけでない、なにかを、見つけたくなっています


部長なり、組織において、意思決定して、その決定にしたがって
メンバーに行動を促していかなくてはならない、そういうことを
やるには?
ひとつひとつ、共通のことを、さがしているでは、間に合わない
ということもある。また共通のことから、想像してやるでは
足らないということもありそうです


ひとつ、イメージとして浮かぶのは
巻き込むことが、うまいということかな
involveする。
LILIのひとつですよね
Listen Inform Lead Involve


ここをはずしては、やっぱり人と人は、つながらない
そう思います

さらすこと

最近、この人と、お酒を飲みたいなと
思える人と、出会いました
このこと、こうした心の動きは、とっても大事にしたいと
思うことです。この人と、時間をかけて話をしてみたい
お互いの思うところを、さらしてみたい


「さらす」ということ、これ、仲良くなる、つまり
いいやりとりをして、お互いを認め合う。そういうときに
欠かせない、やり方と思っています


人間、なかなか、自分をさらして、相手に見せるということが
できないときがあります。利害ということがあれば、なおさら
そうでしょう。私の言うところの、いいやりとりは、さらすことが
とても大事。つまり、さらすということについて、なにかしら
邪魔するものというのは、まさに、お互いの心を響かせあうときの
邪魔になるといっていいこと


邪魔になってるもの。それは虚栄心だったり、保身ということ
そうしたことを、混ぜ合わせた、誤魔化し、ということが
あるように、思います


「海からの贈りもの」 のなかで、リンドバーグは、都会に住み
いろんな関係性のなかで、複雑な世の中を生きていくというときに
こうした、虚栄心だとか、自分をよくみせよう、関係性をなにか
うまくいかせようというバランスなど、それは、捨てることは
できない、と、分析してみせる
だからこそ、一年に一度、一週間に一日、一日のなかで一時間
シンプルに過ごすということを、思い出す、ことをしようと
言うのです


私の言い方でいえば、さらす、ということができること
お酒の席で、時間を忘れて、自分をそのままだして
話すということができること
それが、貴重、であり、そうしたことをしていく
という気持ちをずっともっていたいと、そう思うのです


冒頭に書いた、親しくなりたい人は、ちょっとしたことから
ダニエル・キム氏が、提唱してるという、関係性の質を高めることから
組織、チームのレベルアップをせよという、話を披露
してくれました


そして、偶然にも、関係性の質を高めるということは、ひとつには
正直レベルで、コミュニケーションがとれてることだと、
説明しています
偶然にも、といったのは、正直レベルで、コミュニケーションがとれる
これは「さらす」ということができること、そういっていいのでは
ないでしょうか?


ただ、さらす、ということ、いつもいつも、そんなに
できるものでは、ないでしょうね
誤魔化し、と言えば、ちょっとマイナスイメージが多いのですが
いつでも、自分をさらしています、というのは、やっぱり
きつい。ある程度、自分を自分で守るためにも、一定の
距離や、関係性を保つための、なにかしらはやっている
やってしまうのが、人間とも言えますね


そうだから、さらすことができる状態と、自分を守ってる状態とを
うまく行き来する、そういうことが大事ともいえると、思います


ステイホームの時間が長くなりました
私は、他人といいやりとりをして、それを栄養に生きてる
ところがありますから、ステイホーム、長いというのは苦しく
なってきます
そういう、感覚も大事にしたいところです


あ、この人と飲みに行きたいな
今は行けないな、そういうことあるのなら、タイミングを待つ
そういうことで、やってみたい
実際できるときになったら、貴重なこととして、扱いたい
そう思います

福富太郎の眼、東京ステーションギャラリー

鏑木清方 刺青の女
この作品から、漂う、すごみというのは、どうも女性のもつ
根源的ななにか?ではないか
そういうことが、頭に浮かびました
それは、精神のどこか、ネジがはずれていくような
つまりは、狂っていくような、そういう要素というのが
あるのだと、推察されるのです


狂う姿が、「美」になってるというのは、この展覧会でも
何枚か、見られるところです

梶田半古 天宇受売命/松本華羊 殉教(伴天連お春)/鳥居言人 お夏狂乱

そして、極めつけは、秦テルヲ 妊みの祭 ではないでしょうか


狂う姿の、絵というと、記憶にあるのが
上村松園 花がたみ 同、炎、があります


どちらも、迫力を感じる、見ていると、引き込まれそうな
作品です
花がたみ、やはり、普通でない、この世でない、美しさが
伴うことを、思います


美人画を、見たい、という気持ちにさせてくれたのは
ドガであり、マネなんです
数年前、国立新美術館で、ドガ 「ピアノの前のカミュ夫人」
しばし、じいっとみてしまいました
そして、おととし、マネの「フォリー・ベルジェールのバー」
これです
ところが、その前後して、見た、上村松園と、鏑木清方
美人画だったら、日本の画家は負けていない、いいえ
むしろ、上村、鏑木のそれのほうが、気持ちを揺らしてくれました


ドガのピアノの前、マネのフォリー・ベルジェール、そして
鏑木清方の、新富町。2019年の東京国立近代美術館で、話題に
なったのは、築地明石町のほうなのですが、あえて「新富町
また、上村松園、いくつもあるのですが、新蛍、です


こうした絵の共通点は、「憂い顔」なんですね


都会に生きていて、生きにくさがある、そういう憂い顔
決して、失望してしまったとかではない。
ちょっと、ため息つきたくなる、憂い顔
この美しさ


わはは、女性の美しい顔をみるだけでは、満足しなくて
その一瞬の憂い顔の、微妙さみたいなものが、とてもいいなんて
ずいぶん、贅沢なものです


美しいゆえに、ちょっと、人間模様のなかで、感じる
息苦しさ、みたいなものでしょうか?


みどころの多い、展覧会でした
行ってよかったな。

対人対応力

人は、それぞれ、ちがう価値観があり、その価値観で
生きていく、やり方があるといっていいですね
一見、似てるとみえる、ビジネスマンでも、業界が違えば
かなり、やることがちがうといっていいと思います


違う価値観をもった人と、話して、一定の合意をする
こういうことを、するのが、営業の仕事といっていいと
思います


SESの仕事を、やっていました
覚えたことは、プロジェクトのいろいろが、うまくいかない
状態になると、そのプロジェクトに受け入れるときの
バーがさがるということです
そういうプロジェクトに、人材をいれていって、うまくいったか
に見えて、実はあとあと、問題が起こるということを
繰り返しました


システム開発のプロジェクトで、問題というのは
大きくわけて、スケジュールの話と、品質の話です
そして、それが両方起こるということも、もちろん
あるのですが、どちらをフォーカスするのか
ということで、全然見え方、やることが変わります


問題が起こって、やることがふえたとします
そういうことが、人をいれる、理由になり、多くの場合
それ以外にも、見えてない問題があって、問題が
解消しないようにみえる、そういうことがあります


小規模なプロジェクトで、問題の解決のための権限を
ごく少人数にしぼって、進めれば、結構、解決ということも
みえてくるときもあります


多くの場合、権限を集中できず、ようは問題を、もぐらたたき的に
対処して、なかなか、問題の核心がみえないということが
まずいですね


そのもとに、話し合いをして、その言葉がずれてることに
気が付かないということ、だと、感じます


対人対応力ということ
お互いの違いということを、認めつつ、共通の利益のために
どうするを、決める。こういうことは大事なのですが
つまりは、兄弟げんかはじめ、人と、もめて、人と
仲直りする、そういうことに慣れてないと、うまく
いかないものです


私は、若い人が活躍する、会社を作りたいです
そのために、しなくてはならないこと、ちょっとずつでも
必ずやりたいと思います
システム開発は、たいへんだけど、人が成長をする
ということを、目指せる仕事と思います
そういうことを、やりたい人、ぜひ、会いたいと思います


ときどき、仕事を、演劇のステージを作っていくということと
比較して、見まわしたりしています
ステージは、そこにたつ人だけではできません
大道具、小道具。照明、会場自体、音響。そして、演出
そういうところにも、大事なステージを作る要素があって
それを理解し、相互作用ということを、うまく引き出す


仕事をやるということは、自分だけがいいということでは
ないということを、理解することから、はじまるのです

関係の質を高める

ダニエル・キム氏

【関係の質】が高いと言うのは、一人ひとりが組織やチーム内で重要感を
感じていたり、正直レベルでコミュニケーションがとれたり、相互理解が
図れたりできている状態です。


この状態を作る
ああ、なるほど、と、思うのです
ここに、自分がいま、思ってる、「尊敬からはじまる関係」というのを
大切にするだとか、「やりとりから学ぶ」ということが
でるのだ、と、思うのです


チームビルディングという言葉が、ビジネスシーンでも
ずいぶん、言われるようになりました
いいチームとは?ここに、日本人の良さをだせるヒントが
あるのだと、思います


さて、ダニエル・キム氏の言うところの、「一人ひとりが組織や
チーム内で重要感を感じている」これは、具体的に、イメージ
できるでしょふか?


まず、自分の存在をいいほうで、意識できて、自分がなにかする
ということでの、手ごたえを感じることができる、ということが
前提であり、その手ごたえを得つつ、改善していけてるということに
なりそうです


仕事ということを、思うとき、自分で改善できてるという
感覚って、大事だと思います。考えて、改善できるように
考えていく。それが仕事とも言えそうです
まあ、とても、粘り強い、また、膨大なエネルギーを注ぐとも
いえるかなと思います


「正直レベルでコミュニケーションがとれてる」これも、その
チームのなかで、なにかやるというときに、とても大事なことです
あるべき姿、というのを、共有するということとも、大きく
関わると思います


コーチと選手、指示者と担当者、そして、意思決定する人と、その決定を
もとに、具体的に成果を出す人。
こうした関係で、正直レベルでコミュニケーションがとれるか


人間、「楽をしたい」という、欲求があります
だから「さぼる」といったことも、やりたくなります
さぼる、ことができるように、自分でごまかすということも
でそうです
そこで、「あるべき姿を共有」することで、それは「さぼり」だねと
言う、コーチングが大事ということも、浮き上がります


さぼる、というのは、成果だすための動きとも、限りません
心がさぼるということも、ありそうですね


指示者、だったり、上司というのは、ここで、担当者、実際成果だす
ために動いてる人の気持ちを汲んでいくというのが、大事という
ことがありそうです
人は、褒めてほしいと思うところを、褒めてもらえるのが
とても重要です
そういう意味で、重要ということを、感じているか?


このダニエル・キム氏の話はまだ、続くのですが
関係の質をあげるところから、スタートしなさいということは
私の心に響きました