上村松園

以下 上村松園 棲霞軒雑記より


 私はたいてい女性の絵ばかり描いている。
 しかし、女性は美しければそれでよい、という気持ち
で描いたことは一度もない。


 一点の卑俗なところがなく、清澄な感じのする
香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところの
ものである。


その絵を見ていると邪念の起こらない、また
よこしまな心を持っている人でも、その絵に感化
されて邪念が清められる・・・・といた絵こそ私
の願うところのものである。


 芸術を以て人を済度する。
 これ位の自負を画家は持つべきである。


 よい人間でなければよい芸術は生まれない。
 これは絵でも文学でも、その他の芸術家全体に
言える言葉である。
 よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来
一人もいない。
 みなそれぞれ人格の高い人ばかりである

(後略)


山種美術館で、上村松園の絵の横に、書かれていた文章に
心打たれました


拡大解釈をすれば、「生きる」ことは、人格を高める
ということを、念頭になにか、ひとつのことを、つきつめて
いく、そういうことであると、読めてくる文章と感じます


絵を描くことに、すべてをかけて
そして、女性は美しければいい、そんなレベルではないと
宣言する、誇り高さは、ほんとうに、がつんと言われた
思いがします


芸術を志そうということは、こうした、誇りに基づいた
ことがなければ、いけないのだとの、生き方の教え、と言えるでしょう


「いいもの」「本物だ」というものに触れるとき
あこがれ、といっていい、こういうものを作る人の
心に近づきたいと、思います
そういう、まっすぐな気持ちを、少なくとも持って居ようと
思います。そうでなければ、誰かといっしょにいて
その人のために何かしようなんてことを、したら
かえって、だめにしてしまうのだ、そういう気持ちの
強さを持っていたい


生きるということは、階段を上り続けなければ
生きてることにならないのだ、そういう教えとも言えます


こうして、「生きる」ことのハードルを自分で上げる
それは、素晴らしいこととも言えますが、なんて、苦しさを
伴うことでしょうか