手紙

リアルに会わないということが、求められるなか
私がコミュニケーションで、使いたいことが「手紙」です


川端康成東山魁夷 響きあう美の世界 
という本のなかで、川端と東山の手紙が紹介されて
いて、とてもその心の高さ、また美を追う、真摯な
生き方というものに、ふれて、うれしくなります


解説して、編者でもある、平山三男氏が、「美しい手紙」
として、東山がドイツ、オーストリアに写生旅行に
出かけて、その成果を川端を訪ねていってした、その
直後の手紙をあげてます


いいな、と、感心もするし、できれば、そういう本当に
相手を大切に思い、行動もするということをしたいと
思わせてくれる、様子がわかる、文章です


東山は、この旅行の成果のものだけでなく、代表作を
画集として、だすことにしていて、その序文を川端に
頼みます。快諾した川端は、序文を書くにあたり
見せてもらった、旅行の絵の印象が強すぎてはと
わざわざ、東京国立近代美術館へ東山の作品を見に行く
とのこと。律義さ、であり、東山への友情だと、平山氏は
解説します


こうした、手紙がなん十通と残るなか、まずは東山の
一途な思いといっていい、川端に対する尊敬の気持ち
そして、そのことに、応えるように川端から親愛の情に
みちたことが、あふれてるように、思うのです


こんな、文豪と画家のやりとりには、もちろん、とっても
ぜんぜん、比較するものではないのですが、手紙が好きです


手紙のよさ、というのは、たとえば電話と比べれば
スピード感ではぜんぜん、比べられない遅さですよね
だけど、たとえば、そのゆるい時間のなかで、受け取って
自分が読みたいときを選んで読めるといった、自由さも
ありますね。


それから、わざわざ、郵便を使ってくれたといううれしさも
あります


手紙のよさ、というのは、仲のいい人への手紙であれば
その人のことを、思い出し、例えば共通の楽しい思い出があれば
それを思い出し、笑顔を思い出し、人柄にふれる、ということが
書くということで、できるということです


もちろん、すべて、ではないのですが、仲のいい友達と
話したことは、日記に書き留めるようにしています
その日記を読み返して、手紙を書くということもあります


人間の記憶というのは、有限だなと思うことがあります
「忘れられる」だから、いいのだとも言えます
ときどき、そうした日記をひっぱりだすと、それが隠れていた
引き出しをあけることになって、そのときの思いを、味わう
ということができます


いいえ、都合よい話かもしれないですが、いいところを
強調して思い出すということが、できるように思います


手紙を書く、そういうことを、日常にいれていきたい
そう思う、このごろです

雑談、そしてワークショップ

ビジネスの打ち合わせで、雑談ができるか?
この1点を、よく重視します
雑談のなかから、相手の人柄がかいまみれて
信頼しようという気持ちが高まる、これは普通に
あることです


人により、雑談が苦手、という人が結構います
いいえ、その私からみて、雑談が苦手な人って、単純に
「私」という存在が苦手の場合もありそうです(笑)


ときどき、話がはずむ人もいます
そういう人とは、定期的に、会いたいと思います
話がはずむ、という場合、どうも2種類あるのかなと
思うのです


ひとつめ;相手の話題と自分の話題が、行き来できる
つまり接点が多いということ


ふたつめ:傾聴がうまい、聞きだすのがうまい
という人の場合があります


私の仕事のことでいえば、なんといっても、人材、社員が
とても大事な要素といっていいです。人財と言いましょう
人財が生み出す、価値がそのまま、商品ですね
だから、人財の育成に心をこめて、やるということがあります
そして、人財育成について、意見を交わして、相手がそのことを
真剣に取り組んでるなとなると、とても興味もわくし
情報がほしいとなります


私がよくやる、人財育成の場、は、ワークショップです
大学生で、はじめてワークショップなる言葉を聞いたとき
セットで聞いたのが、「(心が)ひらいている」
ということです。心にカッコをつけたのは、心だけでなく
身体、気持ち、とかくっつくと思うからなのですが、
一番最初にわかりやすいのは、心かもしれません


ワークショップの、みそは、「やりとり」だと思うのです
ある考えを持ったら、それを参加者とやりとりする。そのなかで
ブラッシュアップさせるということだと思うのです
そのとき、心が(身体、気持ち、それからいろんなことが)
ひらいているって、大事です


ひらいているから、やりとりしやすい。ひらいているところで
深められる。


しばらく前の新聞のコラムで、ワークショップは
ワークとショップと考えようとでてきました
これも、ワークショップをやるうえでいいヒントだと
思いました
ワーク、すなわち、考えたり、一定の作業(伝えるなにか
ツールを作る、調べるとか)をする
そして、ショップ、専門店の人になったつもりで
お客(参加者)とやりとりして、いいものを提供する
ようになにかやる。


雑談の話から、ワークショップにふってしまいましたが
「根」はいっしょだと思うのです。つまりは、お互いが
ひらいている、状態で、会う、やりとりするって
なにかが、生まれる、そう思うのです

オンライン会議

テレワークが、働き改革にいい影響がある
という記事を読みました


エビデンスとして、日経新聞、2020/4/21 夕刊第二面
レノボ・ジャパン デビット・ベネット氏による、
オンライン会議の効率性をあげる意見。


「目的を明確にすることが大切です。事前に目的と
資料を共有し、論点を絞る必要があります・・・」


実際のところ、この2週間ほどで、オンライン会議をやる
必要があり、事前にレジュメを用意し、それをみながら
やるということで、一定の成果をあげられる
そういう感覚をもちました


このベネット氏に、反対するつもりで、以下のことを書くのでは
なくて、自分なりに「深めてみたい」ゆえ、思ったことを
書いてみます


岩波文庫 「忘れられた日本人」 宮本常一 より

前略

そういう場での話し合いは、今日のように論理づくめでは
収拾のつかぬことになっていく場合が多かったと想像される。
そういうところでは、たとえ話、すなわち自分たちのあるいて来、
体験したことに事よせて話すのが、他人にも理解して
もらいやすかったし、話す方もはなしやすかったに違いない。
そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで
しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、
また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい
最後に最高責任者に決をとらせるのである。


この記述は、参加した人が、なるだけ「腑に落ちる」話し合いの
しかたの、日本人がしてきたことを、表現してるといっていい
そして、この様子は、そのまま企業の場に持ち込むのがはたして
いいのか?というと、私の思いは以下のようになる


通常の意思決定においては、このような時間をかけて、は
できるものではない。そうかといって、すべて「効率」だとか
だれかに頼る、意思決定みたいなものが、いつも、いつも
であるのは、どうしたものか?


オンライン会議で、うまくいかないのは、意思決定、それも
「時間をかけるべき、意思決定」と思っています
時間をかけるべき意思決定というのが、企業のなかにあっていい
というか、あるべきなのだと、感じるのです


その時間をかけるべき意思決定、これは意思決定と呼ぶには
「ずれ」があるかもしれません。ひとりひとり、企業の構成員
つまり、社員であれば、「考え続ける命題」といっていいかも
しれません


少なくともこの10年、「話し合いを大事にする」ということを
当社ではやってきました。実践、実務と話し合いを繰り返して
そこには「気づき」があり、お互いの意見を、認め合うことで
でてくるヒント、頭をシャッフルさせて、自分がなにをすることが
大事なのかということを、まさに「腑に落ちる」ということを
伴って、理解する


ちょっと深めてみて、思うのは、こだわるべき、意思決定と
通常の意思決定をわけるということに、なろうかと思いました
つまり、こだわるべきこと、は、なんなのかを、参加者で
共有し、こだわるべきこと、以外については効率も追及する
こだわるべきことについて、効率より、優先される大切なものとして
時間をかけ、お互い考えるということに集中して、続けていく
そんなことを、やってみたいと思いました

違いをポジティブにとらえる

確か3年ほどまえだったと、思います
社員のローテーションを、どうするか?どうしたら
うまくいくか、といった話を管理職でしたときに
「違いをポジティブにとらえる」という、キーセンテンスが
とても印象に残ったのです


成長してる、過程で起きる、変化は、ポジティブにとらえる
ということが、人間あると思うのです
ゆえ、違うということが、ポジティブに受け取れる状態を
持つ、またキープするということが、大事だと、再認識した
ときでもあります


河合隼雄先生は、著書のなかで、人間の成長は、植物の
種から、育っていくということを、やりなさいと、教えてくれます


何十年も、いいえ、もっとずっとしまわれていた、種
適度な、水と土と太陽を与えられれば、芽をだし、葉を茂らせ
花を咲かせることができる、というのですね


人間のなにか、足らないこと。それはしまわれた、種と
思いなさいということです
足らないこと、育ちそこなったこととして、適度な
栄養、「見る」ということ「やりとりする」ということ
「聞く」ということを、通じて、育ちなおすということが
できるのだ、と、感じます


ここ、数か月、「いいやりとりができる」このことに
私の気持ちが、フォーカスします


いいやりとりができれば、その所属してるチームで大事なことが
浮かび上がってくる


いいやりとりができれば、お互いが、いまなにをするのが
効果的なのか、はっきりする


いいやりとりができれば、自分のこだわりが、いいこだわりで
持っていたいことなのか?はたして、いまはこだわりを捨てて
協調ということに、心をくだいたほうがいいのか、気づける


社員の人に、話し合って、気づいてほしいとずっと
思っています
そして、「気づく」ためには、自分に栄養を十分与えておくということが
大事なのだと、感じます
なにが、レベルをあげていけることなのか、まず知って、実践する
ということが、とても大事です。またそのためには
レベルをあげていっての、いったん、見えるゴール
つまり、「あるべき姿」はどうしたらいいのかを、探し続ける
ということも、大事です


リードしてあげる、立場の人のやることは、たくさんあります
その「あるべき姿」をさがす、これをいっしょにやる
ということが、あります。そして、あるべき姿に近づく
ステップをさしだすということも、ときには必要でしょう
そうした、見通しをもつということが、一番かもしれません


種をみつけて、どんな環境においてやれば、花が咲くのか
見通しを持つということ
さてさて、私も、あなたもやることは、たくさんでてきま

感覚とモチベーション

生まれ育った、家では父母のほかに、兄、姉
そして、母方の祖母がいて、6人で暮らしていました


あれは、祖母が、まだまだ元気だったから
おそらく、自分は、小学生か中学生くらいだったかと
推察します。祖母の仲良しのご近所さんが
家に来たのです。たまたま、留守番をひとりで
していた、自分はずいぶん、どきりと驚いたのです


というのは、下町でというか、いまだったら
やらないと思うのですが、「鍵」を誰かがいるときは
かけない、ということがあるのですね
インターホンなんて、ましてありません
ゆえに、家の縁側まですいすいと、はいろうと
すれば、はいれてしまうのが、そのころでした
そして、そのご近所さんは、入ってきたのです


社会人になり、務めた銀行の嘱託の、お歳は
そのときで、60代後半だろうという人を訪ねて
山形県、余目まででかけたことがあります
そういう土地、とは、全然縁がなかったのですが
ご近所さんは、まるで家族でした
朝ごはんをごちそうになってると、ご近所さんが
「おーい」とか声かけたと思うと、ずんずん
部屋にあがってきて、朝ごはんの膳がおいてある
ところにすわるのです。おめーも食べるか?
ちといただくか、といって、違和感なく
食べ始めるのです


こうした、こと、都会と田舎の差なのかも
しれません。そして、そういうことは、ある意味
「普通」のことなんだと、後で認識するのです


いま、出勤が制限されて、わが社でもweb会議をすることが
ふえました。そして、それゆえ、家のなかが
写ってしまうということが、おこります
これを、どうするか?
ちょっと、気にしたほうがいいかなと、思っています


「家」にいても、いかにモチベーションをあげるか?
私の工夫は、変えないこととして、朝、リズムを作るため
同じ時間に起きて、同じように、40分くらいのウォーキングは
欠かせません。
ウォーキングは、健康のためにやってるわけですが
自分の気持ちを鼓舞するということでも、役に立ちます
いわば、「ミニウォーキングハイ」みたいな、ように
自分の気持ちをあげるのです


「朝」というのは、とても気持ちのいいものです
朝、気持ちよく仕事が始められると、その日一日が
うまくいく気がします


家のなか、ばかりにいる人には、ウォーキングおすすめします
できれば、少し早めで歩けば、より効果は上がると思います
「ちょい足し、ウォーキング」といいます
そして、少し汗ばむくらいの、運動をして、次の行動に
移れば、自分の気持ちがあがってるのが、わかると思います

着替えること

在宅でテレワークするときに、「シャキ」としたくて
スーツに着替えるようにします


通勤するということは、「これから仕事」ということを
身体が準備するのに、必要、とまで言ったら、言い過ぎ
かもしれないですが、やっぱり習慣、通勤するから
自分は「シャキ」ってなっていたのは、事実です


着替えるということは、自分がこういう役割をするぞと
言ってみれば、演技をはじめるときの、コスチュームといっていい
と思うのですね


20代のときに、子供が中心のミュージカルのサークルに
参加していました。リハーサルで、なかなか集中できない子を
みていて、心配していて、いざ、本番に近くなって
コスチュームをつけ、メイクしたりすると、あーら不思議
子供って、その魔法で、ぐいぐい力を発揮するのです


いいえ、大人だってそうのはず
いいえ、いいえ、そうできないと思う人も、やってみましょう


私、わざわざ、一番その日に気に入った、ネクタイをして
今日の仕事は、こんなふうに大事だと、いわば自分で自分を鼓舞
し、プライドをわざと、意識して、仕事します
そういう意味では、この危機のなか、場所は在宅も
ありますが、集中度は高いといっていいでしょう


面倒くさい?
ええ、確かに面倒くさいことを、やっているでしょう
着替えなくても、自分は力をだせる
そういう人もいるでしょう


ちょっと、話題のポイントを変えまして。


仕事って、「演じる」ことに近いと、感じることが
多いのですよ。
シナリオを描いて、自分のベストシナリオの見通しをもって
リハーサルして、本番を迎える
仕事って、まさにそういうことの、繰り返しのように
思います。シナリオを描くということが、結構好きです


「価値」を生み出すのが、企業だと思っています
その価値を買ってくださる、お客様を、いかにみつけて
できれば、自分たち、だけが、提供できる価値をだすのですね


時間的に、また物理的なつながり、を、ありの状態で
いえば、当社も、そのとき、その場所で、当社でしか
できないサービス、価値を提供してるといえます
でも、時間的に物理的なものをとっぱらってしまえば
同じサービス、価値を提供できる会社は、たくさんあると
なるでしょう


世の中の状況は刻刻と変化します
その変化に、半歩先でしっかりつなげていく
そういうことが、企業の生きる道です
だから、しっかりウォッチしたい
だから、情報をとりたいですね


いろんな意味で、着替えて、気持ちを切り替えられる
そういう状態は、いいことと、思っています

美人画

コートールドコレクション 東京都美術館
エドゥアール・マネの傑作、フォリー=ベルジェールのバー
を昨年の秋にみて、ぐぐぐっと、ひきよせられる
思いがしました


ご存じの方は多いのですが、これ、鏡のトリックがあったりと
なにかと、話題を呼ぶ作品だろうと思います
それはそれ、として、この美人の表情に言ってみれば、釘付け
っていいたくなるくらい、見たのです
よかったのです。


少し時間が経過して、今年の1月だったと思います
東京国立近代美術館にて、鏑木清方の、三部作
浜町河岸、築地明石町、新富町をみました
展示のあった、左から、浜町河岸・・・となって
左の浜町河岸の女性が一番若く、中央の明石町は
中間、そして、新富町の女性が一番年齢が上と
見ました
それぞれ、良さがあるのですが、私は、おそらくは
見た瞬間から、マネの女性と、新富町の女性を
頭のなかで、比べていたのです


もちろん、場所もモデルも、なにもかもちがう
でも、「表情」が、部分的かもしれないですが
いいえ、正確にいえば、表情が伝えてくる、「憂い」
だとか「生きよう」といった、ことが似てると
見えたのです


ときどき、一定の歳を重ねた、女性だからもてる
そうした、雰囲気。雰囲気から伝わってくる、やさしさ
また、安堵感。でもそのやさしさは、まあ「話を聞く」
という段階では、もちろん、時間を忘れて、相手しましょう
でも、そこまでよ、と言ってるような、自分を律する
強さもある


こうした、女性は、憂いを帯びた表情のなかに
しっかり、生きていくぞという、強さがあるように
見えて、ぐぐっときます
この「強さ」がなければ、「生きよう」ということが
なければ、おそらくは魅力は半減でしょう


こうして、マネと鏑木清方が、つながっていって
そして、「美人画」ということが、気になりました


鏑木清方と、同時代に活躍し、女性としてはじめて文化勲章
うけた、上村松園、がいます
上村松園の、回顧展、実際、10年か15年まえ、やはり東京国立近代美術館
みたことを、思い出します
そして、今年の2月、山種美術館で、上村の「新蛍」「夕べ」という
作品が、並んで展示してあるところで、やっぱり「釘付け」でした


全身をあえて、みせない。そうかといって、日本のすだれという
半分見えるものを通して、見せてる
すだれを、手でおさえて、見えたところの、奥ゆかしさ


「奥ゆかしい」って、こういうことに使うんだって、なんて
日本語って、素敵なんだだとか
女性の、こうした、「抑制のきいた」「誇りをもった」
「凛とした」「人をひきつけずにいられない」
魅力、魅力、魅力。


美人画にだいぶ、はまってきました