東京都現代美術館

オラファー・エリアソン


求めていったのは、気づきだと言います
気候変動、自然が失われるそうしたことを
アートを通じて、気づいてもらう


気づきといえば、わが社で大事にしてるやり方に
通じます
自分の足りないことに、気づく。チームが必要としてることに
気づく、ということ
これができることが、大事です


自分がまだまだ若い時、上位者からなにかやりなさいと
言われるより、自分からこれこれをしたいといって
仕事するのを、望ましいと思いました
理想として、自分がなにかをしたい、それには
自分のなかの何かたらないものがある。知識だったり
知識を生かす、自分の能力、また自分の感情をおさえる、力
などなど
そうした、足らないことを、トレーニングするなり
にわか勉強だったりするのかもしれないけど、なにか、足りるように
準備したりする。こうしたことが、自分の成長につながっていく


すべての、はじまりに「気づき」があると
思っています


オラファー・エリアソン
いい、感覚なんじゃないかと思いました
そして、東京都現代美術館で、みたわけですが
そのとき、館内にいた、若い人が、いきいきしてるように
みえたのです


それは気づきがあったから?
そうかもしれません
そして、気づきの、導線といってもいいかもしれないですが
双方向だ、ということが、言えそうなのです


ある作品で、あなたは、共同制作者ですよ
と、言われてる、そんなふうに、作品にはいっていける
これは、素晴らしいことでしょう


美術館に行って、名画と言われる世界にふれる
早くいえば、「見る」。このことも、自分のなかに
なにかがはいってくる感じがするときがあります
名画と対話できてるなんて、思うと、とても自分のなにかが
充実していくような、感覚になります


でも、アーティストが、作品を作るときから
展覧会にやってくる人と、共同制作者と想定してる
こんなすごいこと、ないじゃないですか


館内にいた、若い人は、違和感なくそれを楽しんでる
そういうふうに、見えたのです


気づくということは、双方向なことと、くっついてると
思います
よく、話し合いから気づくということ
いい、やりとりから、気づけるということ
思います
やりとりがある、つまり双方向なのですね


話をしていて、相手からの反応、これが入ってきやすい
話し方があるように、思います
視線の置き方もある、声のトーンもあるでしょう
聞きながら、相手をしっかり受け止めながら話す
といってもいい。


オラファー・エリアソン
とても、気になる存在になりました

夢は続いていく

その人と、心行くまで話をしたのは
数限りなくあるのです
そうした、お互いが「話したい」「話していたい」
「この人なら、こんな気持ちをどう受け止めるのか?」
「こんな素晴らしいことに出会った、そのことを、伝えてみたい」


まるで、恋人のようですね
わかりたい、わかってほしい、そういう気持ちで会いました


もちろん、違う人間。ときに会話していて、方向がずれるというか
自分がみているものとと、その人が見ているものがちがう
なんてことは、起こりました
年齢も違いました、経歴も違いました
ですが、違いは違い、それを楽しめる、そんなことも
あったのです


私が、仕事として覚えたのは、営業でした
営業が言ってみれば、すべてだったときがあります
ですから、営業のいろいろに積極的でないということは
ありえない、という感覚でした


しかしながら、時間を経て、みてみると
営業にしても、たとえば、管理にしても、技術にしても
おそらくはどんな仕事でも、仕事というカテゴリでは
一部に過ぎないのですね
さらに言えば、「俯瞰してみる」そういうことが
できることが、大事ということが言えるかもしれません


さて、時間は経っていき、大事なその人との時間も
過ぎて、ひとりになり、また新しい仲間もできて
ステマーズという場は、少しずつ活性化してきました
人が集まれば、その集まった人が、自分が成長できてる
そういう実感をもてる仕事をしてほしいと、願います。


そういう場にさらに発展すること
仕事はあります、人もいます
その仕事を、切り盛りし、人を育てるしかけを作りましょう


演劇、について、「アンサンブルの楽しさ」ということを
言う人がいます
たとえば、ファッションに興味とノウハウをもつ人が衣装、メイクを
担当し、舞台の空間を作るのに、興味とノウハウのある人が
照明、大道具を、担当する。
演じることを、通して、人の人生を見つめたい人は、キャストに
なり、すべて、人のいろいろを、受け止める、面倒みるのが
好きな人が、演出をする


演劇というのは、人生をひとつの、アミューズメントパークの
ように、パッケージして、みてみるのに、なんて
素敵な空間でしょうか?
なにか、仕事してみるとかのまえに、演劇で自分を
試して、鍛えてみてほしいと思うくらいです


当社は、まだまだ人が育って、発展できる
そういう、柔軟であり、人の夢を実現できる、魅力であり
使える、いい場として、存在しつづけると思います


仲間になってくれる人が、もっとほしいね
ぜひ、そうしよう。

効率化と人の成長

会社であれば、仕事して、収益をださなければ
なりたちません・・・
ときに、社員の育成と、収益をあげることは相反します
つまり、収益をあげるということは、効率をあげること
とつながっていて、効率をあげるということは
人件費、つまりテマヒマをかけないこと、となっていきます


しかしながら、チームを作り、信頼のもとにつながる
ということを、おろそかにすると、しっぺ返しがくるものです
信頼、そう簡単に厚くなってはくれません。
そう、テマヒマかけてこそ、つながり、そのつながりを
もとに積み上げていくものだと、認識します


大久保幸夫、「仕事のための12の基礎力」によれば
一番最初は、愛嬌力と、反応力だと、言います
そして、そのつながりのもとに、継続学習力があり、
目標発見力ということがでます


こうした、やるべきことをやっていくことで
チームは強くなっていきます
いま、社内で、意欲喚起力なるものを、磨いてほしいと
言い始めています


仕事するというのは、大変です
そこで、自分で自分を鼓舞し、ちょっとやそっとでは
崩れない、粘り強さ、そういうものをもつ、源の意欲喚起力です


イメージは、ある人が成長し、組織のなかで活躍する
ためには、複数の人が作り上げるステージで活躍する
ということが必要です


ステージ、ある案件を成功させる、と思ってもいいでしょう
チームビルディングさせる、でもいいでしょう
はたまた、人の成果を発表できる場、その場で、やりとりして
気づきがある、そういってもいいのではないでしょうか


チームを作るということは、企業が効率をあげて
なにかするということと、相反するといっていいのかも
しれません。


月間働くのは、平均すると20日でしょうか
その20日をどう成果だすのか?
こういう発想からは、人間としてどう成長させるということが
はいる、ところは、だんだんなくなっていくと、思います


日本は生産性が低いと、新聞等に、声高に
言われます。その理由について、とくと考えたほうがいいと
感じます
技術をもって、事務など効率化したほうがいいことは
あたりまえ。
効率化に適するものと、適さないものがある
そういう認識から、生産性をあげるって、どういう姿が
理想なのか、あわせこむことを忘れないでやりたいものです

俳優が語る

いま、大河ドラマ感染症の対策で制作が遅れて
そのぶん、いままでの名場面をそのとき演じた俳優が
語るという番組をやっています


1973年、国盗り物語という、司馬遼太郎原作、平幹次郎と
高橋英樹が主演のものが、なつかしくもあり
印象的でした


高橋、当時28歳、自分に信長が下りてきたようだった
と語りました
つまり、乗り移ってるといってもいいでしょうか?
こういう演じ方ができるというのは、俳優として
素晴らしいとも言えます


直木賞作家、安部龍太郎長谷川等伯で、等伯
松林図屏風を描くとき、それは等伯がなにかに
乗り移られて、まさに神がかりの様子で、いっきに描き上げてる
そういう描写を覚えていますし、書いたあとの安部氏、
自分が等伯を世の中にだすために、いわば、等伯
降りてきて、自分にはいってる感じがした・・・


織田信長にしても、長谷川等伯にしても
ほんとうに、小説以上の人生を生きた、日本史を飾る
ヒーローといっていいでしょう
だから、後世の私たちがあこがれて、その生き方を
みるとき、輝くその軌跡が、自分にはいってくるなんてことは
すごいなと感じます


富山県、福光にいったときに、棟方志功の絵について
不思議な、感覚で眺めることができたのです


棟方志功というと、以前は荒っぽい、前衛というのは
こういうことなのかもしれないが、なにか「なじめない」
絵を描く人だと、思っていたところがありました
でも、松の絵であり(題名を失念しました)、釈迦の十大弟子
板画であり、その迫力あるものを、見て、むむむと
思いました。さらに、柳宗悦が、これは、人間が
どうこうというより、神のみぞしる、そういうレベルの
絵なのだ、と解説で言ってるのを知り、はっとしたのです


棟方志功は、上記に書いた、役者であり、作家も
そうのように、神というなにかが自分というからだを
使って、表現する、そういうことができたのでは
ないか?


ときどき、アートというのは、自分が自分を超える
そういうことの起こることだと、感じることがあります


スポーツでも、ゾーンにはいる、という言い方が
ありますが、自分のそのときもってるものを超えて、力が
だせてしまう、そういう時間をもてるのだと。


俳優は、別の人の人生を、自分のからだを使って
表現するのです。ときに、自分の心がなにものかに
乗り移って、もしくは乗り移られて、表現できる、これは
ひとつの到達点ではないでしょうか

詩集

中学生のとき、詩集を手にしたことがあります
その詩集を、手に取ったのは、そのときやせていた
自分の体形に、でてくる人が似ていたから


でもあるとき、その詩集にでてくる
紫の川という、詩が美しく思えて
心はほっこりしました


ずいぶんたって、その詩集は、アンパンマン
やなせたかしだったんだと、気が付いて
紫の川の、やさしくでもものがなしさと
アンパンマンの明るさについて、はあと
思ったりしたのです


人間は、いろんな顔をもつもの
物悲しい、詩を書く、やなせ
アンパンマンを書く、やなせ


大好きな小説の、「思い出のマーニー
大好きな、疑似恋愛といっていい、大事な人が
でき、そして別れがあり、その別れのもとに
裏切り、またそれを許すということがある


大事なものができたから
そして裏切りと思えることに出会ったから
心が、成長し、許すということを
はじめてできるようになる


人間の心は、なにか悲しいとか、せつないとか
その裏で、うれしい、こうした思いは、またとない
すごいことだって、気づくことができるように
なるのではないでしょうか


大事な人がいつも、近くにいてくれる
そのことが、自分を支えてる。そういうことを
知るのには、孤独を知らないと、いけないのかも
しれません


自分が30代後半だったか、それから知った
東君平と、やなせは、知り合いだったようです
東は、若くして、亡くなりました
やなせは、長寿でした


先日、あるテレビの番組で、そのとき80代かと
思う方が、「長生きするということは、人生の喜びです」
とうれしそうに語ってるのをみて、いいなと思いました


できれば、長く生きたことを、うれしく思う
人生を送りたいと思います


どうも、効率、スピードを、追う、世の中は
限界だと思うように、なりました
じゃあ、なにを求めていくのだろう
それを、じっくり、考えてみたい
そう思います

食育

食育という言葉が、世の中で使われるようになったのは
少なくとも平成になってからではないか?と感じます
こんな書き方をすると、人によっては「ずいぶん前からだ」
と思うかもしれませんね。私としては、最近のほうと
言いたい感じがありますが。


わが社で食育に取り組もうとして、いくつかやってることが
あります
昨年の社員旅行は、農家で民宿をやってるところに
宿をとりました。畑で収穫体験をして、餅つきをし
とれた野菜を、料理してもらい、その日に味わいました
野菜を好きになってもらおうという、趣旨ですね
おそらくは、おいしい野菜を食べてないことが、野菜を
遠ざけているのでは?という感覚です


確かに、実際、スーパーに並んでる野菜は、鮮度から
少しどうなのかな?と思うことがあります
そうかといって、都会だと、新鮮な野菜を手にする
チャンスがそうそうはないということもあります


一日に野菜を350グラム、とりましょうというのが
推奨されています。こういうことも実は、割と最近
私も知りました。自分の食事ということだと
夕食なら野菜のおかずを、2品、朝や昼も野菜を
意識したものは食べようと努めます
350グラム、例をあげれば、小松菜一把、ともやし
一袋くらいということになるようです


今月、そういう取り組みを、入社したばかりの
当社の社員に、知ってもらい、また実践もしてもらおう
と、自分の食べた食事を写メしてもらい、みせっこする
という取り組みをはじめてみました


そういうことで、「食」に関心をもってもらい
うまくいけば、食から自分の健康に関心を持ち続けて
自分で自分の健康を上向かせる、またそれをキープ
するということに、気持ちを向けてほしいと思うからです


こういう「食」の話はもちろん、健康に関わることについて
「習慣化」ができるか、そういうことが、とても
大きな要素です。習慣化すれば、それは継続され
たとえば、体調そのものに影響する、大事なことに
つながっていきます


だから、今年入社した社員のかたには、習慣にしようという
ことも、言っています。社会人として、必要な知識、ノウハウを
つける。これも習慣化ということが、必要だし、また武器だ
ということもできます


「食」はすべてに通じる、生きる上でとても大事な要素です
そうなのですが、なかなか「食」に意識がいかず
上に書いた、野菜をあまり食べてないということが
ちょくちょく聞こえてきます


先輩社員は、後輩を指導するのが務めです
後輩がこうして、努力してること、自分もやってみませんか?

会社が進む道

あるとき、親しくしていて、いま上場会社の事業部長をつとめる人が
いいました
どんな会社だろうと、そのポジションをとってかわられるということは
あるのが、競争社会だよ。日本でトヨタだって例外では
ないのだよ


はっとしました。自分たちは中小企業で、力が足らない。他社に
その存在をとってかわられてしまうなんてことがあるのだから、
そういう、ある面、こわさ、だったり、こういわれて気が付く
つまりは、言い訳だったり・・・そんなことにとどまっていたら
いいことはないぞ、と、感じたのです


ひとつの会社が、発展する。発展ということは、見方を変えると
「変わる」ということです。変わるのにはいままでやってきたことを
「捨てる」ということも伴うのですね


社長をやってきて、19年。いい変わり方をできる会社が
いい会社だと、思うことがときどきあります
変わることと、変わらないこと、これを意識してやってる
そういうことも大事だと、思います


先週の、月に一度の社員全員が参加する会議にて
アイディアコンテストを、試行でやってみたのです
自分としての感想は、素直で、やってみようという
気持ちをもった人がいるな、うれしいなということです


「仕事は楽しいかね」 by デイル・ドーテン
が、教科書でした。まず「試してみること」
「試し続けること」をやるんだという教えです


「お試し」というのは、だれもが好きなのだよと、本に
書かれています
お試しから、なにか、新しいこと、面白いこと
そして、人の役に立つことを、考え続ける、トレーニングを
する。これって、いいなと思い始めています


みんなを、幸せにするシステムを作る会社
10年ほどまえに、webサイトを更新するときに、書きだした
当社のキャッチフレーズです
働いてる人がどうしたら、幸せになるか
言い換えれば、育つか
このことを、ずっと追いかけて、仕事したいと思います


いま、今日の時点で、働いてる人が、幸せになるのに
なにかを、思い続ける。そのなにか、目標といっていいことを
感じる、自分で掲げる、そうしたときに、会社が他社から
他人からみて、ああ、こんな特徴があるんだと、見てもらえる
「軸」といったらいいでしょうか、ひとつ掲げることだと
思い始めています


アイディアコンテストへの、取り組みをみて
うん、なにかを発信し、こんなことを考え見て
そういうことに、シンプルに「やってみよう」という
人が当社にはいるじゃないか?
ここを、ひとつの認識のスタートにして、ポジティブに
考え続けてみたい