アートでつながる

親しくなってきた、北信州のホテル、「住吉屋」さん


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おもてなしが、「我が家のよう」といっていいでしょう
素晴らしいと思います


親しくなってきた(と、自分では思い込んでる)ので
ついつい、自分たちが好きなアートの話のおしゃべりを
していました


住吉屋さんには、棟方志功の作品がいくつも、飾ってあります
話のなかで、いまのおかみさんのお父様、もしかしたらおじい様が
親しくされていた、という話がありました
残念ながら、おかみさんは、そんな話をお父様から聞く機会が
なかったとのこと。そんなことから、もしかしたらボクらの話を
面白く聞いてくれたのかもしれません


2018年の夏でした。陶芸のあれこれが見たくて、2度目の
石川県、金沢の旅。金沢市内を見て回ることにしていた
そのとき、ちょっとあてがはずれて、どこに行こうかとなったとき
選んだのが、富山県、福光の土地でした。お目当てが、棟方志功です
実は、福光に行くまで、そんなに、棟方志功について、いいなとか
特別な感情は、ありませんでした。柳宗悦河井寛次郎が見出して
これこれというエピソードは知っていたので、まあ、関心がある
アーティストのひとり、くらいです


ただ、実際のところ、このことも、おかみさんには、話したのですが
自分が、10代?か20代まで、活動をしていた、アーティスト。
ごくたまにですが、テレビのなにかの報道なりで、その姿を拝見したり
は、あったのです。そして、映像にでてくる、ご本人の様子が
目を曇らせたといったらいいか?早くいえば、「変な人」に
映ったのです


福光で、目の前で、作品を描く、棟方志功と接したという方の
話は、かなり、印象的で、鮮烈といっていいことでした
目の前にそのシーンがうかぶような、語りでした。近眼なのに
その筆の速さ、そして、みるみるエネルギッシュな作品が生まれてくる
興奮といったことが、語られたのです


その直後、福光の公的な美術館だったと、記憶します
柳宗悦は、解説で言います「棟方志功は、自分の作品に責任が
持てないと、語っています。この責任が持てないという意味は
無責任といったことではなくて、人間では責任が持てないレベルだと
解釈します。神にしか責任が持てない、そういうレベルなのです」


すぐまえに聞いた、目の前で作品を描いてる、棟方志功のこと
それが、柳の文章で補強されたといっていい、そのときの
思いでした


だから、棟方志功の作品は、人の心を打つのだ
だから、柳の審美眼は、すごいのだ・・・


それから、棟方志功にどんどん、関心が高まりました
そのあと、住吉屋にお邪魔して、作品もさらに惹かれましたが
小林さんという歌人が、棟方志功とコラボしてる話も
(小冊子があって、知った)とても、楽しくみました
聞いたところによれば、その方は、おかみさんのおばさまとも
知り合い(友人?)のようとのこと、いいなでした


人のとの、縁は面白い。そしてアートがこうして触媒となって
人のことを、楽しませ、またつながっていくもととなる
これはアートに限らない、文化というのは、人をつなぎ
人を元気にさせていく、パワーを秘めていると、思ったことに
なりました

対人対応力

はっと、気づいて、なにか行動する
このことが、成長ということの、基本と思っています
自分がこれから、どうしていきたいか?考えてください
これは、上司が担当者に言う、定番のことなのですが
あるとき、ノウハウ本を読んでいると、自分がこれから
どうなりたい、どうしていきたいか、明確に持ってることが
大事などというのは、これだけ、不確か、不安定、また
ほんとうに先が読めない、時代において、いいこととは
言えない。むしろ、どうなっていくか、わからない
というのが、素直な気持ち、そこに添うということ
からはじめる、とありました


ええ、確かに
そうなのですが、仮説でも、こうしよう、こうなりたいと
思わないというのは、行動することにつなげていく
ということは大事です
だから、「試しに」といって、はっとしたら、
こうがいいんじゃないかと思ったら、やってみるって
やっぱり、いいのだと思います


システム開発でいえば、プログラミングの技術、データベースの
知識だとか、ネットワークが、OSが、・・・といった
そういうことについて、なにか知りたいという気持ちから
調べてみる、断片的だった知識をつなげるべく、なにかを
するってこと。


技術者があるべき姿を、追っかけていくということが
いかに大事か、ということ。


そして、忘れてはならないのが、人間としての、成長です
「対人対応力」といったことが、とても気になります
平たく言えば、お願いしたり、あやまったりということに
うまくなろうということです


仕事していけば、うまくいかないこと、困ったなに
いきあたります。その困ったな、について、自分だけで解決
できれば、それもやり方ですが、その解決の方法を、人に
教えてもらったり、場合によっては、いっしょに解決したり
ということが、不可欠なのは、一定の判断を伴うような
そういう仕事をしてる人なら、だれでも知ってることです


そうなのですが、人と協力してなにかするってことが
下手になってしまってるということが、よく見かけます
たとえば、「お願いすること」。相手がお願いされたことを
やる、そういう、場、そういうタイミングを計ることが
できない


困ってることがある。仕事が進まないというとき
どうしてなのか、教えてもらう。「教えてください」
ということが、なかなか言えない。タイミングもあります
その相手がどういうタイミングなのか。こちらを教えたりという
ことをできるタイミングなのか


さらに、相手をリスペクトできるか?
ということも、気になります
リスペクトしてるから、やりとりが、スムーズになります
いいえ、だれでもかれでも、リスペクトを強制するという
わけではありません。相手だって人間。もちろん、気に入らない
態度、要素をもってるかもしれません


人間として、自分はどうなのだ、と、自分を客観視する
ということを、いつもできるようにしたいと思います
客観視していれば、相手がどういうことで、どんなふうに
生きてるかというのが、見えてくるということがあります
客観視してるから、自他のいろいろを、相対的に思って
相手を許し、相手を尊敬するという態度も生まれるといって
いいのではないでしょうか?


そんなふうにしていくなかで、はっとする
あ、自分勝手な態度でこれこれ、ここをもっと知ろう
ここを、もっと自分として、力をつけよう。そう思うこと
さっきもふれた、不安定、不確か、そして複雑な、また
あいまいな(VUCAというのだとか)世の中。だから、うまく
のりきっていくのに、生きる姿勢、が、大事だし
対人対応力を、磨いてほしいと思います

伝えること、伝わること

伝えていくことがしたい、そういう思いがあります
これは、まず、人間として根源的にもつものと、認識します
それから、今自分は、経営者として、リーダーシップを
発揮する立場として、そう思います


登山してる、グループがいるとします。リーダーとしては
あの山に登ろうという、山を指し示すことが大事です
その山が見えるとき、グループの結束、また積極性というのが
盛り上がり、山道を進ませるのだと、いいます


こうした、たとえ話に、会社経営ということを、あてはめる
というのは、わかりやすいこともありますが、誤解も生みます
現実として、「山」のようなわかりやすい、目標がみえてるとき
見えてないときということが、あると、認識するからです


大上段な話に限定ということであれば、山に登る話は
ちょっと、いい感じの話になりやすいでしょう。山に登るんだよ
ということ。継続は力なり。大きな長期目標といったことを
考えるには必要です


はたして、人間というか、担当者として、大きな長期目標が
あれば、日々努力していけるのでしょうか
ちょこちょこと、小刻みな、マイルストーンをおいて、それを
クリアしていくということが、今は精いっぱいという
人って、かなりいますよね


ちょこちょこと、小さな目標を、というとき、その目標が
所属するチーム、所属する会社の進む、目標、存在意義
といったことに、シンクロしていれば、いいです
だけど、だれがそれを、確認、見守るのでしょう
そういう人を、極力減らしてしまってるのが、今の世の中
とも見えてきます


勢い、担当者のいろいろが、複雑、またやることがどこまでが
みえにくくなります。また、一応といっていい、管理者である
プレイングマネージャは、それこそ、集団皿回し状態になります


経営者、私に近い立場の人が、大上段な話をしたときに
プレイングマネージャだったり、ときには直接、担当者だったり
それは、「偉い人がなにかやってること」として、自分事として
とらえられない、そういうことが起こります


経営者が、担当者に寄り添うだけの、いろいろな情報、気持ち
パイプといったことが、十分あれば、まだ近いところに
いけますが、なかなか、それもずれてることも多いのは
よく知ってると思います


こんなふうに、思うと、プロジェクトそのものを回してる人の
いろいろを、改善することと、もっと長期的な視点をもてる
誰かが、近くにいるようにするということと、両方やらないと
いろいろうまくいかないなと、見えてきます


言葉というのは、不完全というか、思ったほど、うまく伝わらない
という前提にたって、使わないと、失敗します
そういうとき、やはりそれでも、言葉を使い、相手の気持ちの近くに
行って、伝えていく。大事なことと、思います
また、そうした思いを持った、仲間をふやさなければ、チームは
うまくいかない、そう、肝に命じる必要があります

お正月の食卓

おそらく、三が日、ずっとおせちを食べていました
という、おうちはもうないのではないのでしょうか?


元旦と、それからごく一部、作ったものは食べるとして
お正月の、そのままの料理を食べてるって、もうないのだろう
と、推察します
実際、仲良しの人に聞くと、正月だから、特別なものは
なにもない、という話もでていました


お雑煮に、煮物、このあたり、実際お正月には欠かせない
そういうもの。ちょっとだけ、今年はやりました


お正月になにも、料理しないという話をしてくれた、その仲良しに
やっぱり、「季節」は感じていたいと、返しました
もっとも、季節を感じるためにどこまでも、というか
我が家も、伝統にのっとったものを、作ったわけでは
ないのですが。


日本人は、きっと、季節を大切にしてきたといっていい
と思います。おつけものだったり、その季節の野菜、食材を
おいしく食べるということに、工夫をしてきたといっていい
でしょう。みそ漬け、粕漬なんていうのは、その表れと
いっていいでしょう


我が家の食卓になくてはならないもの、みそ汁と、浮かびます
季節の野菜をいれた、みそ汁。だしは、煮干しと決めています
なぜ、みそ汁か?飽きないからと、答えます
飽きないというのは、やっぱり好きということもあります


冬は根、春は芽、夏は葉、秋は実を食べると
いいますね。冬は根菜の味噌汁がいいです
たとえば、さつまいも、にんじん、じゃがいも、サトイモ
かぼちゃ、などなどと、浮かびます
葉っぱもありますね。きゃべつ、白菜は、何に使ってもいい


お正月の食卓、はたして、どうすれば、季節感がでるのか
やっぱり、浮かぶのは、食材そのものですね


今年の我が家のお正月でいえば、チーズが多かったです
このところ、何年でしょう、3年前にパリにいったときは
もう相当にチーズは好きでした。そして、チーズのバリエーションを
もっと、楽しみたいと思いました


チーズというのは、ヨーロッパの食文化のすばらしさを
ぎゅっとつめたものといっていいのではないでしょうか?


結構な割合、我が家の食卓はそうなのですが、和食と洋食を
交互だったり、混ぜたりしています。その洋食のスターが
チーズですね。そのままも、おいしい、焼いてもいい
オーブンで焦がすのは、チーズのおいしい食べ方といっていい


料理好きな人と、正月に食べたものの話を、交換したいと
思いました。そういう人には元気もらえる、そのように、思います


さて、新年の仕事がはじまります
はりきっていきたいですね

アートから、エネルギーをもらう

新潟、高田の地に高田城があり、その城内の敷地に
小林古径の、自宅と、アトリエが移築されていた
その特に、自宅のほうで、時間をゆったりを感じながら
ぼーっとする時間を、2022年の夏休みに持てました


小林古径は、梶田半古の画塾において、奥村土牛の兄弟子
途中からは、塾頭として指導してもらったということで
名前を知る、画家でした
その小林の絵にふれて、自宅の佇まいにふれて、もっと
そのアートを知りたくなりました
こうした、広がりは結構楽しいのです


吉田五十八という建築家が建てたという、小林古径の自宅は
美しいです。解説を読むと、小林は吉田に、自分が
気に入るように家を建ててくれと、依頼し、吉田はそれに
応えるべく、小林のアートをみてまわり、いわば小林の
アートへの思いを受け取って、それを自宅建築という
なかで、表現したということらしいのです


私がみて、受けた印象は「木の美しさ」「使いやすさを
優先するなかで、気品が生まれる」といった感覚を
最大限生かしたといっていいのではないかということ
です


家にいると、すごく居心地がいいと感じるのです
無駄や、無理といったことがない、ここに人がいれば
なお一層、その家の良さが光るのだろうと推測しました


画家、特に自宅、自宅近くで、製作するとなれば、その
住み心地というのは、作品にそのままでるといっても
いいかもしれません
そういう家に、大好きな奥村土牛も通い、土牛は小林を
生涯の師として、慕い、本当に生き方そのものをもって
小林を追い続けたといっていいのだろうと、推測します


奥村土牛が自らの半生を書き綴った「牛のあゆみ」という
本があり、その解説を、河北倫明先生が、書き綴ります
少し引用します

(前略)

 大森の小林古径師の画室に住み込んで、その清純な感化を
吸収した土牛青年が、師によって日本画や東洋古典の高い
精神的境地に導かれると同時に、幾多の参考書をあてがって
もらい、中で特にセザンヌに心惹かれ、セザンヌのものなら
何でもというほどに打ち込んだことは知られている。私は
この事実の中に、土牛画伯の中に本能的にセザンヌと共鳴する
何者かが自然に躍動していた事態を想像する。それは、近代絵画の
教科書にあるような、立体派の始祖、あるいは抽象画の出発点
としての、セザンヌといったものではなく、むしろもっと素直な
セザンヌそのものである。自然を実在的、原則的に純化して見る
と同時に、その深く澄んだ精神的統一までを感得するような
美神経、そのような形と心の両面において、土牛青年はセザンヌ芸術
の高い波長に惚れ込んだと私は解するのである。

(後略)

この文章のあとにでてくる「日本画伝統とセザンヌ芸術の融合昇華」
に土牛さんは挑戦し続けた・・・という話を、そんなむつかしいと
思わないで、たとえば、「鳴門」の淡く見えながら深い色合いに
富士の絵の立体感に、そうなんだと、感じようとする、自分が
います


奥村土牛が好きになって、その画題となった場所に足を
運び、ほんのちょっとだけでも、土牛の気持ちに近づけたような
そんな楽しみを知ってる自分は、少し誇らしく、アートの
高さ、土牛の挑戦のすばらしさを感じれてるぞと、思うのでした


新年、おめでとうございます
今年、去年、いいえもっとまえから続けて、休日にでかけて
みかける「アート」そのもの、そしてアーティストの生き方に
元気をもらい、その何分の一でも、生き方で近づきたいと思って
これからの自分のあゆみの、はげみとしていきたいと、思っています

仲間になろう

大学時代は、ずっと、コロナで、授業は
オンライン、行事はなし、サークルにはいれず
友達も少ない・・・・


これ、待ってよ、っていいたくなる
自分がそんな大学時代を送ったとしたら、少なくとも
「今」の自分はない・・・


そういう大学生と、2024に向けて、採用活動を
していくのだと、思いました


オンラインでやるということの、メリットは認めながら
実際、対面しかなかったときと、比べての、デメリットも
相当はっきりしてきたということが、あるでしょう
大学は、私は友人を作るところといってもいいと
思いますが、同じ空間をもたない、人とどうやって
仲良くなったらいいのでしょう


ここは、実際なにか、始めるべきと思っていて
経営する、システマーズでも、お試しの、「仲間になろう」
といった作戦ははじめています


人間は、ひとりでは生きられない
そう思っています
だから、家族がほしい、帰る場所がほしい。
日本は、ずっとそうした、家族的なことを、大切にしてきた
とも、言えると思います


仲間になる、友人になる、その基本であり、一番
大切なこと、は、その相手の話を傾聴できるのか
ということと、思っています


人間は一人では生きられない
人間は「言葉」を持っています。言葉で
意思疎通するということを、やろうとします
もっとも、言葉の扱い、下手な人多いですから
言葉で意思疎通できると思っていたら、そうでもない
などと、いうのは、よくあるということもあります


少なくとも「あなたのことを、気にしていますよ」
というサインを送って、そこから、「やりとり」を
することで「気づき」があること
こういうことが、「主体的な」「よりよく生きようとする」
そういう人にとって、大事なことということは、はっきりしています


人間はひとりでは、生きられない
採用活動、社員の育成のなにかをしてるとき
この、若い、可能性を秘めた、人にどんな活躍をしてもらう
のがいいのかと、真剣に考えます


人が育つということは、自ら行動できて、そこから学ぶ
ということを、繰り返すということが、とても重要です
継続は力です
人間、繰り返しやることで、ノウハウもつきますし
自分に自信ももてます


「粘り強さ」といったことが、継続していくというときに
伴うと、強いなと、感じます
自分の可能性を見つけるため、自分の続けられる、得意技を
磨くため、「継続力」を鍛えたいですね

サプライズ、そしてリーダーシップ

今年、サッカーワールドカップにて、日本チームは
強豪、ドイツ、スペインを破るという、サプライズを
やってくれた。このことは、ほんとに勇気をもらえる
そういう時間だったと、振り返ります


人が感心するということは、サプライズがあってこそだと
言えると、思います。ただ、サプライズはそうそうは
起きません


日常の生活のなかで、ああ、いいな、その瞬間うれしい
というのは、「自然の美」ということがあります
ほぼ、いま、6:15で時間が刻々と過ぎて、かわって
いくのですが、今12月、冬のこの時期、朝の夜明け前は
見事なグラデーションが見えることがあります。自然の美
といっていいですね
夜明け前後、そして、夕暮れのとき、こうした「マジックアワー」
には、思いがけず、美しいものを、みかけることができます


ウォーキングコースのひとつに、神社があり、そのなかで
咲く、梅は季節がこのとき、進んでるのを、教えてくれます
12月から花がさきはじめます


季節を感じる、自然を感じることで、自分の感性は
潤いをもち、柔軟性を保つという感覚があります


潤いがあって、柔軟性があると、ほんのちょっとしたことでも
うまく、美しいとか、あ、なかなかあり得ない、うれしいことだとか
気づけるということが、あると、思っています


自分はリーダーとして、どうやって、自分の経営してる
会社を、よりよくしていくかということ、いつも考えます
働く人が、働きやすい、という環境を作ることから、と
繰り返し、考えます


一方、こうした、入社してくれる若い人が働きやすいように
と考えるとき、人に優しい、ということに、配慮すると
同時に、これから仕事をし続けていくのに、必要と思われる
いわば、筋肉を鍛えるといったような、強さを持つといった
ことにも、会社がなにかしら、後押ししながらできる
ということを、盛り込んでいくということ、思います


まず、やりやすく、そのなかで、強さも求める


仕事をするということは、その仕事の過程で関わる他人に
必要と思ってもらうということが、大事かなと思います
であるなら、まさに、人生そのもの、ときには、やりやすさ
入りやすさもほしいですが、ときには、ちょっとやそっとでは
こわれてしまったりしない、強さといったことがほしいのです


人と人の関わりといったことを、トレーニングというときに
「ワークショップ」の手法を、取り入れます
さきほどの、「入りやすさ」といったこと、ワークショップの
なにかを、あてはめるとしたら、アイスブレイクといって
お互いの気持ちをほぐし、近づけるなにかといったことを
します


それでは、なにかあっても、そうそうは、大丈夫のような
強さは、何をもって、トレーニングできるのでしょうか


頭にでてくるのは、話し合いなのです
それも、できれば、お互い遠慮のない、率直な意見を交換
できるような、話し合いです


ある人、Aさんに、なにか言われると、反発したくなる
だけど、Bさんに、たとえ、同じことを言われても
「ますは聞いておこう」となる


これは誰にもある、経験なのだろうと思います
ですから、一定の関係性と、自分の気持ちの前向きさを
もつことで、そこそこ、遠慮のない話し合いはできると
思っています
できれば、グレードアップすることを、自分で工夫して
そうしたことを、くりかえし、やるとなると、しめたものですね