生き方、にふれる

毎年、秋になると、はがきが届きます
それは、知り合いからの、作品展をやりますという
案内のはがきです。去年、とある日曜日の午後は
その知り合いの作品展が開かれてる、小さなギャラリーで
旧友との話や、その知り合いとまったりしたりして
過ごしました。


20代のひとときをいっしょに過ごした仲間と
その後友達になったという人と、話しました
その人は、ガラスのオブジェを作るという表現を
続けてると、話していただき、その作品も
見せてもらいました
共通の友人である、一人の仲間の話をしました
それは、子供が中心のミュージカルの集まりの話です
そして、ガラスで表現をすること、体を使って
ミュージカルという表現をすること、そこには
「表現したい」という共通項があるんだという
話になりました


話は飛びます


ときどき、うつわの作家に会う、旅をします
「うつわをめぐる旅」と言っています
うつわ作りをしている、作家の生き方は
ときに、心を打ちます


いいものはいい、そういう気持ちがまっすぐなのだと
感じるのです
備前の金重さんに、教えていただいたこと
備前焼で大事なのは、土と火です
私は、この道にはいって、5年間は土作りだけをしました
土が大事。土作りをずっとやる。どういう土が、自分の
作りたいものに、なってくれるのか知る、ということ


石川県の、橋本さんの、うつわは、手になじみ
また、食卓を彩るのに、うれしい、うつわです
昨日も橋本さんの「ぐい飲み」でいっぱいやりました
「楽」と書かれた、その杯は、気持ちを浮き立たせて
くれます
橋本さんの、お話。「まっすぐな線、ただそれだけ
引くのも、修行がいりました」
うつわ、作りは、生き方そのものなのだと、感じる
このごろです


また大きく話は飛びます


20代の社員と話していて
自分がどういう方向で、努力して目標を定めていくか迷う
そういう話がでました
いいえ、迷っていいんです。と私は思います
むしろ、真剣に自分と向き合って、自分のこれからを
考えるなら、迷うほうが自然といっていいのでは
ないでしょうか?


自分は?と、自分自身の話をしました
いま、大目標として、「人材育成」を掲げています
だけど、このことを、自然にというか、誰にでも、ためらわず
話せるような、自分にしっくりくるようになるまでに
15年、20年とかかったように、感じます


うつわ、作りの人の、生き方のことは
そのシンプルなことだと、感じます
そして、そういう感性にふれるのは、まさに自分を
表現してみたい、そういう自分のなかから
でてくる、思いからつながってる、そんなふうに
思うのです

歴史、から学ぶ

自分を好きになれば、大切にしようという気持ちが
高まる。なにかを大切にしてる、自分が、自分を
みつめるとき、それは相乗効果で、いいものになるのです


絵を好きになるということ。
絵を評価する、最大、最高のことはその絵を自分の
手元に置きたいと思うこと、と、洲之内徹は、言います
そういうふに、「シンプル」に考えることが大事、ということ
アートに親しむことでも、学んだ気がします


シンプルに考えて、自分を好きになること
自分の感性を磨くといっていい、自分を好きになるということ
「学ぶ」のに、大事なことは、アンテナをはることだと
何度か、言いもしたし、感じています
私は歴史が好きです。そして好きになれば、なるほど
歴史の関連のことに、アンテナをはるようになります


今年のNHK大河ドラマは、久々の「戦国時代」を扱っています
ちょっと新しい発見(これは近年、そう書き替えられたのか?)
大きな存在感のある、斎藤利政(道三)。美濃の国の支配者に
なっているのですが、前は、一代で美濃を手に入れたと
描かれていたと思うのですが、今回、セリフのなかで、二代、親子で
美濃を手に入れたとなっています


この斎藤道三にしても、もちろん、織田信長にしても、明智光秀
ついても、たとえば、なにかでゆかりの地、ゆかりの文献を
みるなんてことがあれば、ぜひみたいと思う自分がいます


知るは楽しみなり、と言いますが
好きになるということは、アンテナをはることにつながると
思っています。好きだから、もっと知りたい。知っていけば
好きになる。こういう相乗効果がいいのです


歴史が好きといっても、結構実際、司馬遼太郎であり、「小説」に
よって、私の知識も得られています。そこで誤解していたりも
多いということに、気が付きます
2年ほどまえだったか、永青文庫で、織田信長から足利義昭
あてた、書状がありました。それは信長が息子を、義昭に人質として
さしだすときの手紙でした


たぶん、後になっての解釈なのですが、信長は将軍を追放して
いわば、勝者になります。歴史を後からみてる自分たちは
勝者の信長が、そのころ力が衰えた将軍に人質?とあれ、と
なるのですが、勝者になったのは、後の話、その瞬間には
将軍の力をあなどれないと思っていたんだということが
わかります


学ぶこと、好きになること
深く知ること。理解すること
ある対象の人を好きになるということは
理解をし、身近な人として、生きるということに
なるでしょうね


好きになること、その好きになった人と
どういっしょに生きるのか?そういうことも
歴史から学びたいと思いますね

大人の女性の美

昨年、パリに絵を見に行ったのですが
そのときのことを、親しい人に話すときに
「絵」も、「街」も素晴らしかった。そしてみてきて
少し時間がたって、落ち着いて思い出すと、つまり
そうした絵であり街を作った、人間の素晴らしさを
思うのです、と、言いました


ごく最近、ロンドンで、仕事をしていた経験のある
仲良しと話していて、欧米の人からみたら、いかに
日本であり、日本人という存在は、ごくごく小さいものに
過ぎないか?という話がでました
つい、いいや、経済の視点は、置いておくとして
アートということでは、印象派の画家が、浮世絵の影響を
受けたように、存在感はあると思うよと、言って
いました


高校時代に、倉敷に修学旅行で立ち寄ったときに、例の
睡蓮について、モネが特別日本びいきで、わざわざ、交渉役の
児島虎次郎に、私が自ら、大原美術館に飾る絵を選ぼうと
申し出た、そういう話を聞いて、少なくとも「モネ」は
日本をずいぶん、意識していたんだと感じました
もっとも、原田マハの小説を読むと、オランジェリーを
作るにあたって、日本に絵を渡すのを、必ずしもよしとしない
モネもいたことが、小説のなかでは書かれています


パリに行くと、人によるかもしれないですが、印象派の絵
というのが、やはり相当な存在感があるんだと、感じます
昨年、見た絵(これは東京だけど)のなかで、マネの
フォリー・ベルジェールのバー」というのが、とても
気に入りました。都会の生まれ育ちのマネが描く、都会の
女性の憂いをおびた、表情の美しさ。
この絵からも、パリという街の魅力、そしてパリに住む
女性の美しさというのが、伝わってきて、見た人を
魅了すること、間違いないと、思うのです


都会の女性→憂い顔、なんて構図はちょっと、文章に書くと
特に単純に思えて、どうも、自分の言葉の足らなさがまた
感じられて、いやなのですが、都会に住んでいて、人々の
なかで、もまれて生きるから、ちょっと憂い顔、でも
美しい、そういう表情、瞬間が好きです
言い換えれば、のびのびとした、いつも明るいといった
少女の美しさより、大人の事情を持ってる、そうした
女性の美しさにひかれる、ともいえるかもしれません。


都会の女性の美しさ、といえば、ルノアール
田舎のダンス、都会のダンスも、心ひかれた作品です
田舎の、ルノアールの妻がモデルといわれる、女性の明るさ
都会の、シュザンヌ・ヴァラドンがモデル、の憂い顔
この対比がとても、うまく描かれてるように思えます


絵を描く、画家にしたら、描く対象の人物の生き方
内面ということも、気にしてるそういうことに
なるかもしれませんね。
そうした、連想で、つい先日東京近代美術館で
みた、鏑木清方の三部作も、まぎれもなく、都会の
女性の美しさを見事に表現してる、と思いました

自分を知る

他人のことは、理解できても
自分のことが、理解できない


なぜでしょうか
このことは、歴史のなかでも、もう繰り返し言われてる
おそらくは、人間が陥りやすい、傾向だといっていいのですね
自分のことが、理解できない
理解できない、ということは、まず、客観的に自分を
見るということができないのでしょう


スポーツをします
スポーツをして、記録を伸ばしたり、試合に勝ったり
ということは、自分との戦いだと、言われます


昨日、全豪オープンテニスが終わりました
テニスの試合で、あるとき流れが変わって、リードしていた
選手が、急に調子が悪くなり、逆に相手のボールが
決まっていく、そういうタイミングということが
あります。
まるで、ボクシングで一発、やりかえしたことで
相手にそれが効いたように、流れが変わる
これは、メンタルなところで、自信もってやっていたことが
急に自信がもてなくなる、そういうことにつながっているのだと
読み解きます


相手とのやりとりで、自分を知る
相手との、優位性であり、劣後してるという感覚が
自分のいまを知る、ということです


それほど、自分というのは、自分ではわからない
客観的に見ようとして、見間違う、それが自分でしょう


それでもなんとか、自分を見なくてはだめです
まして、責任ある立場の人だったら、なおさらそうだと
思います
たとえば、組織のなかで、人のポジションを決めたりできる
責任をもった人は、対象の人の能力「、いまの状態をよく知って
ポジションを決めるということを、求められます
そうでなければ、うまく仕事がまわりません


自分を知ること
それは、一定のトレーニングをすることで、そこそこの
通常知りうるような、情報はとるということができます
ですが、本人も無意識でやってること、だったり、潜在的にもっていて
あるときでてくるものだったりは、もう予測できないでしょうね
そういう、複雑さ、また魔訶不思議なところがある、それも
人間ですね

朝ご飯に卵は食べたい

朝の定番、といえば卵料理
和食だったら、卵かけご飯
和食にも洋食でも、目玉焼き
スクランブルエッグは、洋食かな?
それからオムレツ。
実はオムレツ、うまく作る自信ないんですよね


自信がない、といえば、フライパンで目玉焼きを
作るとき、黄身の部分を、好みの固さにできるか
というと、手間もかかるし、ちょっと、あんまり
フライパンでできるという自信がない


目玉焼き、好きですから、どうしてるかというと
陶の、陶板といわれる、直火で料理ができるものを
用意して、作ります
これでやったら、もちろんやりすぎは、固くなりますけど
火の通り方を、調節するのが、やりやすいんです
土鍋で、湯豆腐を食べるときも感じるのですが、土の
もので、火を通すと、食材への火の通り方が
やさしいんです


目玉焼きでいえば、おおよそ、いい感じに黄身を
固めることができます


ずずっともどって、卵かけご飯
これも、単純なんですが、無性に食べたくなるとき
ありますよね。
我が家では、この卵かけご飯は、温泉卵でやります
温泉卵も、温泉卵を作る器、プラスチックですが
ちょうど、氷の保温器にもなるような、ふたをすれば
中の温度が保たれるものに、卵をいれて熱湯を注ぎ
15分、って具合で作ります
時間さえ、まちがえなければ、そこそこ温泉卵
まあまあできます。微妙なことでいえば
もうちょっと火を通したかったとか、やや硬くなった
とかはありますけど。


変わったところでは、トマタマですね
つまり、トマトと卵。
作り方としては、私の最近の好みは、玉ねぎのみじん切りと
ベーコンも使います
玉ねぎ、ベーコンを炒めて、そのうえにぶつ切りにしたトマトを
いれ、塩で味を調え、ころあいで、溶き卵をかけます
これ、食感がふんわりで、朝ご飯にとてもいいです
やってみてください


卵が、あると、朝ご飯が華やぐ感じがします
ゆえ、ひと手間かけて、朝ご飯、卵を料理したいと
思います

不動明王

京都の聖護院にお参りしたときに、思いがけず
お会いした、お坊様が、不動明王の恐ろしげな顔は
その後ろに、親の愛情をたっぷりもつということがあり
そのうえで、「間違いを正す」ということをしようと
そういう、顔なのだと、教えていただきました


親であり、リーダーは必ず持たなくては、その子供
メンバーが間違いをしたときに、困る、そういう人間の
大事な一面でしょう。


先日、あるセミナーにでかけて、リーダーシップ論の
いったんの話になったときに、いまどきの法律で
パワハラをしては、いけません、メンタルヘルス
面からは、まず、相手が話したくなるようなことが
あって、進めないと、だめですと、話がでます


確かに、そうなんでしょうと、思うと同時に
あれ、不動明王の顔が、親心につながってるんだと
感じる、日本人の感性は、もうないのかしらと
聖護院での出来事を、思い出していました


1か月くらいまえに、社員に、この聖護院での
不動明王の顔の話をして、リーダーだったら
まず理解できなくては、指導は難しいよね
あなたは、不動明王になれますか?といったことを
話したのです


「ポカン」とした、といったら、言い過ぎなのですが
私が聖護院で、感じたこととのギャップを
感じました。もちろん、お坊様の生き方に根付いた
話と、それを聞いた私が伝えた、その迫力であり
雰囲気は、もうちがうでしょう
ですが・・・
リーダーとはと、少なくとも考えてくれてるとしたら
ちょっと、物足りないものも、感じるのですよ


リーダーであれば、「伝える」ということに
心砕いて、ほしいところです
だから、父性、母性、両方のアプローチが
ほしいし、そのことは、同じタイミングで
同じ人が伝えるなんて、とても難しいでしょう
そういうことに、気づいていれば、特に「父性」の
部分、伝えるのが苦手と気づくのでは、ないでしょうかね


働き方改革」ということが、法律でも
という話を聞いたときに、「違和感」を感じるのは
経営者のみならず、おそらくは相当の組織で
働いていて、また「改革」ということを意識した
ことがある人なら、相当な割合ではないかと
感じるのです


パワハラメンタルヘルス
確かに、意識して、大切に扱う必要はあります
そうだと思います。ところが、その基準になるはずの
感覚は、かなりあやしい、とも、思えてならないのです

梅の香り

横浜に梅の名所があります。三渓園です
明治の豪商、原三渓が、作り、一般公開もした
という庭園が、いまは公園となって、花を愛でる場所に
なっています


池や、川を、囲むように梅が植えられていて
そぞろ歩きには、最適な場所になっています
歩けば、東屋があり、茶店があり、奥には
白川郷から移築したという古民家があったりする
見ごたえです


「内苑」と呼ばれる、原三渓の私邸があった近くには
紀州徳川家から移築したという、臨春閣と呼ばれる
建物だったり、聴秋閣と呼ばれる、建物があります
その名前からも、季節を愛でる、茶人の心が
現れ、アーティストがサロンとして、集まったということも
想像される、人が集まる「場」だったのだろうと思います


江戸時代から、明治にかけて、商人である、つまりは
一般市民が、茶道をはじめとした、アートを楽しんだ
そういうことは、日本がこれだけ、文化を進めた大きな
ポイントになってると思います
また、そのことを、可能にした、江戸期からの平和が続いている
また、磯田直史氏の言うところの、「命を尊重する社会」
が、あったということが、すごいことなんだと
想像します


ここ、2,3年、「琳派」と呼ばれる画家の展覧会に行って
気に入って、見入ったことを、思い出します
鈴木其一、尾形光琳琳派に数えるのには、?がつくかも
しれないですが、木島櫻谷。
これらの画家が、茶室に飾るということを、前提とした
屏風絵だったり、掛け軸の絵を描いています。
それは、「楽しむ」ということ、主客がいっしょに愛でたりする
そういうことが前提だと、感じます


遠近法を超越し、また、リズムさえ感じる構図は
どうして、生まれたのか?それは作者じゃないとわからない
でしょうが、少なくとも、背景に茶を楽しむ文化があったのは
間違いないのではないかと、感じるのです


さて、三渓園
ときどき、お邪魔して、ああ、茶道でつながってるんだな
茶道っていいなとも思うのですが・・・
茶道を自分も習うとなると・・・
少し敷板が高く、・・・と言い訳をしております