お茶を飲む

日々是好日という映画をみました
樹木希林の魅力が、少しわかった気がいたしました
そして、見終わった直後、樹木希林はきっと
茶道について、相当経験者なんだろうと、想像して
いました。ところが、ネットで拾ってみると、
言ってみれば、にわか勉強をして、やったようです


茶道というのは、お誘いしてくれる人もいて、ちょっと
やってみようかな、という気持ちはわくのですが
そういいながら、どうも、「形からはいる」という感覚の
ルールが多すぎるような、そんな言い訳をして
いまだに、自分からやるということをやっていません


テレビドラマで、千利休だったりが、命のやりとりを
してる武将相手に、素晴らしい空間とその心で
気持ちをつかんでいくといった、シーンがでると
自分もまねしたい、なんてときはあるものです


季節を、感じて、色、におい、音を楽しむ。
茶道こそ、日本文化の日本文化らしいところが
あるものだと、聞いたことがあります


ここ、しばらく、マネジメントだったり、人の
成長についての、自分がやれること、といったことに
ついて、そのスタート、また基本のアプローチのひとつ
「いいやりとりができる」ということが気になります
そして、いいやりとり、というのは、私のいまの理解では
茶道のめざすところなのだ、と、感じるのです


生きていくとき、できれば、縁ができる人に
なにかしら、ちょっとでもいいなという、瞬間だとか
感覚が共有するとか、そんなことがこちらからきっかけが
できる、そういう人でありたいなと思います


たいへん、おこがましいのですが、若い人に
経験少ない人に、いかにいい仕事をして、気づきを
もって、もっといい経験がしたい、もっと高いレベルの
なにかを知りたい、体験したいと、エネルギーが
でるような、そんな機会を作る、お手伝いを
したいと思っています


そういうとき、気づく、なにかを提供したい
あるとき、茶道でいうところの空間、お茶室も
会話も、アートをめでること、自然となじむこと
すべて、気づくのに、なんて素敵なしかけなんだと
思うようになりました


去年の秋に京都を訪れて、法然院さんに寄りました
思いがけず、法然院さんの茶室で、しばらくぼーっと
できる時間を持ちました


お寺に、行くこと。お寺で静かななにかを味わうということ
これは、とても贅沢なこととも言えます。ました有名な寺院で
大切なお茶室で少し、人も少ない中、ぼーっとできる
というのも、ずいぶん贅沢な感じです


3年ほどまえ、同じく京都の曼殊院さんでは、ほんとうに、すばらしく
手入れされ、整ってる庭をみて、回廊といっていい、建物から
ずいぶん、「雅」といっていい、感覚をさわることが
できたように思います


もしかしたら、茶道ということに親しむことで
こうした、庭のよさ、建物、空間の良さはもっと
自分にはいってくるように、感じることができるのかなと
想像したりもします


そんなことを、妄想しながら
レベルをあげる、だとか、自分の目標を高くする
こうしたことは、きりがない、無限大のことなんだと
思いいたり、それは素晴らしいですが、まあ、しんどい
ことでもあるよな、とつぶやくのです

失敗談を話そう

失敗から学べる人は、素晴らしいです
実際、はっと気が付いて、失敗なんだってわかる
ってことが、大事なことが多いです


20代で、最初に努めた銀行でのことでした
お客様に対して、進める商品が、半年ごとのその期の
目標によって、ころっと変わる。そんなことが
あっていいのかな?
疑問に思っていて、そのことは、ほんとうのところ
どうなんだって、いまでもちょっと思います
だけど、組織に所属して、その組織の発展をやると
誓った以上は、組織全体が決めた目標に向かって
動くことができることが、正解になります


半年の期限が過ぎたら、ある商品を売るということが
意味がないことになるのです。そのインパクトが
自分はわからなかった。目標をどこまで真剣に追っかけるのかが
身にしみてわからなかったのです
ええ、だいたい、個人のお客様を相手にしていて
よっぽど、余裕のある富裕層のお客様をつかまえていなければ
目標どおりの、成績をだすのって、ほんとに難しいと
思います


でも組織の目標を考える側に一度たってみると
はっきり、目標からはずれた成果は、いわば失敗だと
いうことになるのですよね


こうして、目標を達成するということは、背景として
その所属したチーム、組織での自分のたつ位置を知り
いかにコミュニケーションよくとっていくかということが
切り離せないのだと、だんだん、理解が進みます


先輩になったら、自分の失敗談をまじめに話すことが
できるようになりたいです
後輩にしたら、なぜ、それが失敗か?わからないことが
多いと思います


若い人、ひとりひとり、成長してほしい、ちょっとやそっとじゃ
めげない自分を作ってほしい。ずっとこの会社をやっていて
変わらず思う、私の思いです。この思いはどうやって
実現するか?社員が社員を教えるということを、通して
やるのだと、思います。だけどその大本の指針は?


こうして思うに、やっぱり旗をふる役割の人、もちろん
自分も含めて、そういう人は発信していくことが大事だと
思います。双方向のこと、つながっていて、いろんな事態に
対応する。そういうなかで、信頼を高め、お互いを利用し
チームを強くしていく。こういうことが大事です

見るということ

私は、奥さんの趣味を、ちょっとだけ
自分も便乗したくて、美術館に行くようになりました
そこから、絵を見るということを、はじめたのです


2000年だったと思います、京都国立博物館にて、伊藤若冲
回顧展が開かれていました。いまのようにまだ若冲のことは
そんなに人気ではなかったように思います
私の奥さんは、じっくり、絵を見ていきます。どうかすると
一枚の絵に10分以上とどまって、みています
そんなには、ゆっくりじっくり見ていられない、自分が
いました
ずいぶん、座れるところをさがして、奥さんを待っていたのを
思い出します


それから、少しは、絵をじっくり見るということが
できるようになりたくて、何度か美術館にいくようになりました


だんだん、こうしようというのがでたのが、
好きな絵は、じっくり見ればいいということでした


何をいまさら?かもしれないですが
絵について、しろうとな自分は、大きな美術館で
展覧会が開かれるような人の絵、うまく鑑賞できない
というか、素晴らしいと思えないと、思えない自分の
感性が、だめなんじゃないかって、なぜか思ってしまう
そういう、思い込みがあったということです


自分にとって、いいなと思える絵に出会うということが
いいことなんだって、あるとき、思えました
人がいろんな人がいて、自分にとって、合うというか
自分となにか、ピピっと来る人とこないひとが
いるように、絵もそうなんだと思えるようになりました


そう思えば、変な思い込みから解き放たれて
絵をみるということが、楽しくなってきたのです


去年から今年、もちろんしばらくは美術館に行けてないですが
2月くらいまでの話です。美人画がとても、気になりだしました
去年の、東京都美術館、コートールド美術館展にて、みた
エドゥアール・マネフォリー・ベルジェールのバー、
これははっとして、ずっと見ていました


女性の美しさを、描いた絵というのは、もちろん世の中に
というか、いままでも、自分が見ただけでも相当数
あるわけですが、この表情を切り取った、感覚が
すごくいいなと思えたのです


言い換えれば、こんな女性がいる、バーで自分も
飲みたいなかな。


ルノアールの作品の、評価に、「その場に入っていきたい」
ということがでてきます。これも絵の楽しみ方の
ひとつといっていいと思います


見たい絵、見ていて、いい絵に出会いたいですね

傾聴が基本

いつも、「つまらなそうな」顔をして、他人との接触
避けてきた、アンナ。いろんなめぐりあわせで、田舎暮らしを
するようになります
そして、人が少なく、ひとりでいられることが気に入ったりして
いると、ひょんなことから、美しく、ある不思議な感覚の
ある少女、マーニーと出会い、仲良くなります


思い出のマーニー」は河合隼雄先生の著書から知った
小説です。何度か読み返して、人間にとって大切なものを
学ぶことができたように思います


マーニーと出会って、仲良くなり、不思議な冒険みたいなこと
マーニーの両親が開いてる、パーティをかいまみたり
そして、裏切りと思える、出来事、また、大切な人と
思えた人が裏切ったという、いわば自分の心の揺れ。
また、もう一度マーニーから、私を許してといわれて
許すということを、はじめて、体験します


実は、許すという行為、自分のなかに、ごつごつとできて
しまった、不信だとか、怒り、みにくい、自分の心
これらを、溶かして、これらを押しやって、もう一度
相手との関係を築く、許すということ。
信頼関係というのは、お互いがお互いを大事だと認め合い
相手の信頼に応えるべく、行動を重ねることによってのみ
築ける、大事なものですね


アンナはマーニーと出会って、いわば疑似恋愛といっていい
自分にとって、大切なものができて、その相手を信じ
信じた相手に裏切られ、そして、そのことを許すという
行為をへて、自分にとって、一緒にいる人といかに
関係を深め、ときに許し、そして、自分から相手に
アプローチしていくことって、大事だと学ぶのです


この小説から学べることはたくさんあります
人間の心の、グラデーションといっていい、特に
若いときの心は、なんとも、軸が定まらず、相手の
好意を好意として受け取れず、味方になってくれる人を
大切にできない、そういうことがたくさんあるように
思います


心のなかにわけいってみる
それは、誰もできないこといいえ、なかなかできたら
素晴らしいけど、とても難しいことにはちがいない
だけど、人をなにかしら、方向づけてあげたい
いっしょに仕事して、経験少ない若い人に、なにかしらの
示唆を与えたい、そんなふうに思い、そのことが
真剣に大事だと、決めた私には、ときに踏み越えなければ
ならない、ひとつの大きな課題として、浮かび上がります


人の心は移ろうもの


河合隼雄先生の、カウンセリングは、相手と
同じ心の視点を持てること、相手の話を本当に傾聴できることと
言います


傾聴するって、決して高いところから、ああそうかと
見ることでは決してありません
だけど、つい、この歳になって、若い人の経験のなさほか
からくる、拙い行動を、軽く見てないか?
そういう反省がいつもあります


自分の心に先入観を持たないで、人と会う
このことって、本当にエネルギーがいることと
感じます


そして、当社先代社長のスタンスっていかにも
いつもフレッシュで、人のことを尊重し、素晴らしかったと
思いいたるのです

安曇野

私の信州の思いの、ポイントとなる場所が
安曇野です


東と西の山に抱かれた、広々とした土地
扇状地、それも複合扇状地と呼ばれる、アルプスの
山々を眺めることができる場所


最初は、うちの奥さんが、学生のとき修学旅行ででかけて
その美しさに、忘れられない場所なのだと教えてもらった
のでした
あるとき、池田町立美術館、別名、北アルプス展望美術館に
でかけてみると、山下大五郎という、安曇野に魅せられた
画家の展覧会があり、あ、あっと、安曇野って、こんなに
美しいんだと、改めてその魅力に気づいたのです


画家の目、というのは、美しいものを切り取って
ほら、こんなに美しいんだよと、一般人に教えるという
ことがあるようです
この山下大五郎で、ずいぶんとそういう感覚を持ちました


北アルプス展望美術館の坂をどんどん降りて、高瀬川
わたり、松川村にはいって、もう少し東の山に近づく
乳川という流れのすぐのところに、ちひろ美術館
あります


え、単純なんだよね・・・と見える、すごく素朴な絵
そうなのですが、それぞれの子供に、表情がみえる
実は、シンプルにみえて、たらし込みといった
日本画では、とても大事な技法が使われていたり
ちひろの、技術の高さがわかる、絵なんですよね


もちろん、絵、そのものをみるのもいいのですが
安曇野ちひろ美術館は、そもそも作った人が
昼寝ができる、美術館を、というコンセプトもあり
広い土地、ゆったりとした、空間、またカフェもあり
図書室もありと、ゆっくり一日中遊べる空間です


「山」をみて、美術館で絵をみて
そして、その絵がスケッチされたという景色をゆっくり
見る。そうしたことが、安曇野の楽しみ方の王道といって
いいのだと思います


そして、ちひろ美術館のほど近くには、鈴虫荘という
宿泊もでき、日帰り温泉としても楽しめる、ごきげんな
施設があります。別の場所に泊まっていて、お風呂を
いただいたこともありますし、何度かここに宿として
泊まったこともあります


湯量も十分、もちろん露天風呂も楽しめる、温泉。
安曇野は、この鈴虫荘に限らず温泉がいくつもでていますし
さきほど、扇状地といいましたが、川の源流に向かって谷を
進めば、また泉質のちがう、温泉にもいけるという贅沢な楽しみ方が
できます


山下大五郎も、岩崎ちひろも、それぞれ、安曇野を愛し
何度も行き、そこでスケッチした、そういう場所を訪ねて
みる。白馬の山であり、安曇野の山、そして、山を見るというとき
ある空間をへだてて、向かい側の山に登る、これが一番山のありようを
見る、最高の見方だとあるとき、気が付きました
安曇野は、理想的な場所といっていいと思います


しばらく、信州に実際行けてない
だから、こそ、今度行ったときは、感動がひとしお深い、そういう
旅にできるのだろうと想像します


いつもの、「拡大解釈」をすれば、旅がある困難があることで
感動を深くすることが、事実であれば
生きるということも、ある制限、あるハードルの高いなにかを
乗り越えることで、充実度をあげることができるのだ、そう
信じたいと思います

変化に対応する能力をつける

緊急事態宣言がだされてるなか、会議は
オンラインでやりましょう、と、なっていて
当社でも、必要な打ち合わせは、相当な割合が
オンラインで、やっています


5/9付、日経新聞のコラムにおいて、オンライン会議は
会うのとは、ちがう、そういう認識から
はじめるのが大事だと、書かれています
確かに、会議はオンラインでやれば、大丈夫だというのは
いかにも、乱暴かつ、幼稚といっていい判断だと私も
思います


そうなのですが、テレワークを使い、命の危険を避けて
もうちょっと、いい働き方をしたい、そういうことは
今後は必ず、避けては通れない、それも長期にわたり
そうだということが、見えています


では、オンライン会議で、情報共有や意思決定について
どうやってうまくやっていくのか?
ひとつの答えは、ひとりひとりが、会議の参加の仕方、
利用の仕方について、能力をあげる、ということになります
情報共有、ひとりひとりが、ある「合意」が必要としましょう
その合意について、自分なりのレベルのゴールを明確化
しておいて、必要な情報収集と、主張すべきはする、ということを
はっきりさせる、ということになります


こう、書いていて、なかなか難しいなと思うのは
あるAという合意について、自分の主張をはっきりさせる
これ、ほんとにとことんやったら、ひとつだけでも
大変ですよ


そうなのですが、個別にはまた時間をかけて深めるしか
ないですね


このブログにも何回か書いたのですが、大筋でのやろうと
してることが、合意できてる、そういうグループ、チーム
であれば、オンラインでも物事をある程度進めるというのは
できそうということがあるのです


ただ、こうして変化が激しい、環境の変化も1か月でぐるっと
変わるというときなど、さきほどのやろうとしてることが
合意できてる、前提条件がゆらぐ、ということもありそうです


会議の参加の仕方を、グレードアップするということは
このいま、進めてる話題についてのあれこれについて、この人の
スタンスって、変わらず、大丈夫?前提条件変わってないのかな?
と、こういう、目の凝らし方について、能力をあげる
そういうことにも、なりそうです


昨日、当社の会社説明会を、オンラインで行いました
情報を配信する、というのは、そこそこできた、かもしれません
ただ、会社説明会を実施したこちらがわとしては、参加してもらった
学生さんのいろいろを、受け取れたのか?というと
やっぱり、リアルに行う説明会のときより、その情報は少ないと
思います


会議の参加、利用の仕方について、能力をあげること
どうしたら、できるでしょうか?
しばらく、真剣に考え、試し、まずは自分が率先して
そうしたことのガイドをできるような、状態に持っていく
そのことを、強く必要性を感じてる、この頃です

先輩

学生のころから、今日まで「先輩」という存在を
いろいろ、利用もさせていただき、慕うなかで
心の栄養、知識として知る、指針をずいぶんいただいた
と思っています


ただ、自分もいま50代後半にはいり、現役でいろいろやる
先輩が減ったことを感じます。そういうなか
いまの世の中ですから、オンラインでのことですが
先輩と飲み会をいたしました


人と人が、特にお酒も飲んで話そうというときに
自分を飾らずに、だせるということが、とても貴重だと
思いますし、そういう相対の席を持てるということが
大事、実際、人と会うなら、理想の姿のひとつと
いまでも思っています


先日お酒を(オンラインですよくどいけど)いっしょに
飲んだ先輩は、実は相当アルコールには弱い人です
それでも、お互い気を許して、アルコールもありという
席で、なかなか、しらふで会うというときには
でない、話もしたのです


先輩には甘えていい、というのは、10代とか20代での
話、で、というのが一般的かもしれないですが
ときには、相手が先輩であれば、教えてもらう
またこちらが自分をさらけだせるなら、思い切って
批評してもらう、そういう席があっていいと思うときが
あります


この辺からは、自分のそのレベルというのを、わきまえて
やってるつもりですが、ときに先輩には、自分の
やってることを、どう思うか聞き、そうした意見から
自分のふるまいをある程度客観的にみるということが
貴重な時間にも、思えるのです


私は、経営ということでいえば、人づくりこそ
経営の大きな柱ということで、時間、であり、自分の
いろんなエネルギーを使ってきてると思っています
そういうとき、自分が尊敬する先輩はそのことを
どう受け取るか。話してみて、はっとすることがあります


人間、なかなか、立場を変えて考えるってことが
そんなにうまくできるものでない。と、思うことが
よくあります
言い換えれば、立場、から出発して、ある事象をとらえてる
その出発点の立場を変えてみるって、特に、きめ細かくと
なると、なかなか難しいのですよね


新入社員の人に、私が声かけるとき、やっぱりギャップが
大きいことを、感じます。こうしたギャップがある人と
なにか話をする、なにかひとつ、文章でもいい、説明のための
資料といったことを作るとなると、ギャップのなかでの
共通点だとか、なにかしら、同じ視点で話せることを
さがすことになります


こうしたやりとりをするとき、まずは、やりとりそのものを
ふやして、こちらの言ってることが伝わり、相手が
いまどう考え、なにを感じたか、こちらもキャッチできる
まずはそのことに、意識をあわせることだと、気づきます


そんなふうに思いながら、自分は、教育者という意味では
意味あることをしてるのは、自覚しますが、はたして
企業を経営し、またその立場で、社員をリードする立場として
十分な、なにかができてるのか?となると、だんだん自信が
なくなっていく・・・なんてことも、しばしばです


はっとする。自分を客観視する
こうした、必ずほしい、なにかのマイルストーンでの自分への
気づき。先輩といる時間って、そうするための栄養をもらえる
なんて、ずっと思っているのは、やっぱり甘えてる証拠でしょうかね