カフェと音楽

BGMをかけて、なにかしています
いいえ、自分の好きなとき、自分の部屋だったりしたら
BGMは欠かせません


神山純一 「八ヶ岳シンフォニー」
このシリーズは5枚くらいCDを買って、相当好きで
くりかえし聞いています


「エピ」という、八ヶ岳のふもとの、気持ちいいレストランで
みつけました。ロマンティック街道にある、エピは
テラス席があって、お値段も手ごろです。たとえば
スープやシチューとパン。それにコーヒーを
頼んで、ゆっくりランチをとるなんてとっても
気持ちのいい時間が過ごせます


このエピに何度か行っていて、そのごく近く
お菓子な茶店 ちゃいぶ、というのも、つい最近
覚えました。こちらは、メニューは少ないのですが
街道から奥にはいっていくゆえ、とっても静か
居心地がいいです


知浦伸司 ハルニレ


このインストルメンタルは、軽井沢のハルニレテラスで
知りました。まるでテーマミュージックのようですね
小川がながれる、テラスの店が連なる場所で
この流れるような、曲を聞きました


カフェ、だったりは、居心地のいい、くつろげる
空間をめざして、作っていますね。そしてそこには
必ずといっていいほど、BGMがあります


「ワールドカフェ」という、ワークショップの手法を
聞いたことがある人、いると思います
この手法、ある、ワークショップを開いた人が、反省会で
休み時間、カフェのようにお茶を飲みながら過ごした
時間が、一番実は活発な話し合いができていた、そういうことが
ヒントでできた、手法です


そう、ワークショップに限らず、人が集まって、「やりとり」を
してなにかに気づく。そういうことを目指すとき
まず、人がなにかに制限されたり、なにか、圧力があったり
そういうことを、なるだけはずして、気持ちよく、発言したい
ときに発言する、やりとりをする、そういうことができるように
することが、とっても大事とも思います


さて。
カフェの時間
そして、自室にいても、自分の発想だったり、自分と向き合って
考えを深めたりしたい時間
あなたはどんな音楽を、求めますか

QCD

打ち合わせをして、なにかしら、ヒントが見えるとか
お互いがこれをやってみて、前に進もうとか
ある、やることが見えてくること、このことが
大事であり、そういう打ち合わせをするということが
チームが前に進むというときには、必要不可欠といっていいでしょう


ごく最近、お客様といろんなことを、一致させていく
ということが、まだ不慣れな人と話す機会がありました
QCDということは、技術者が仕事するうえでは、気にすべき
とても大きなポイントです。お客様、指示する人が
もってるQCDはこうだ、ということと、自分の持ってる
それを一致させて仕事しなければ、ずれ、ます


若い、経験少ないとき、というのは、QCDのバランスに
ついて、それぞれ、お客様自体の事情であり、その指示
するリーダがもつ役割のニュアンス、はたまた
仕事自体の、濃淡、その位置づけによって変わる
ということを、認識しなければなりませんね


誰でも、仕事していれば、評価されたいのです
だけど、その評価されるポイントが、変わるということを
知っているということ、も、大事なことです


技術者であれば,いいものを作って、なんぼ、という
シンプルな思いがありますね
これは、決して忘れてはならない、態度ですね
ところが、いいものを作るためには、時間もコストも
気にしないよ、というお客様は、はたしてどのくらいの
割合いるのでしょう?


このように聞かれると、少なくとも多くの割合の
お客様がそのはずだと思う人は少数でしょう
ですが・・・


自分がそのなにかする、技術者のなかの、まんなかに
いたら、いつもそのことを忘れずに仕事できますか?


技術者がプロジェクトに参加して、そのプロジェクトの
位置づけ、そして、お客様のいまの様子、そのプロジェクトの
立つ、位置でしょうね。そうしたことが頭にはいっていて
さて、どうすすめるの?
いま、プロジェクトに必要なことは、何なの?
これをしっかり、理解する。少なくとも、キーマンであり
チームのみんなと合わせておく


プロジェクトに参加して、ある部分かもしれないですが
自分がそのプロジェクトの進捗に責任を持つ。そういう
立場になったら、考えることは、増えるのですよ


いま、仕事は分業で進むのが、普通ですね
だけど、分業されるそのまえの状態では、どうなのか?
これも理解、情報のキャッチが必要、と、思います

日本の色

縹色のきものに、深紅の帯
なんて、鮮やかな印象の姿になるのかと
上村松園の色彩の世界に、心躍る気がいたします


和装というのは、いま、日本人自身、身近では
ないというのが、正直なところでしょう
和装で、特にオフィシャルな場にでる
なんてことは、私は一度もしたことがないです
また、相手が洋装を好みましたから、結婚式だって
二人とも、洋装です


先週みた、上村松園の、美人画。この色彩の美しさ
和装の色の感覚は、実際、洋装のそれを、超えてるのだと
感じました


友人に手紙を送るのが好きです
そこで、ときどき、郵便局に行き、記念切手を
買うことにしています
ごく最近、手に入れたもの。伝統色をテーマに
したものがありました


(1)桑の実(くわのみ)色
(2)深緑(ふかみどり)
(3)水浅葱(みずあさぎ)
(4)金赤(きんあか)
(5)苺(いちご)色
(6)乳白(にゅうはく)
(7)豌豆緑(えんどうみどり)
(8)翡翠(ひすい)色
(9)石竹(せきちく)色
(10)薔薇(ばら)色

青、赤、緑、そして白。
こんなふうに、呼び方をいろいろ作ってる日本語って
やっぱりいいなと思います
そして、実は日常のなかの言葉としては、こうした
色の呼び方を、知らない、使わない、使えない
自分たちになってることを、少し残念に思います


お休みの日に、好きな信州に出かけました
そして、雨模様の天気になり、景色ということでは
山があまり見えなくて、いったん、残念と思ったのですね


そこで、よく休日自分たちがしてるとおり、美術館に行きました


信州には、東山魁夷が絵を寄贈したことで、できた
東山魁夷記念美術館があります
その今回みた展示のなかで「雲湧く峰」という絵が
ありました
山の、峰、から、湧くように雲がでてるような
そんな絵。その雲と、山肌の緑がとけあうような
グラデーションの美しさに、立ち止まりました


さて、美術館をでて、景色をみてみると
まさに雲湧く峰が、まわりにあるのです


画家が、美しいもの、として絵に描いて
その絵をみて、そのもとのモデルとなったものを
みて、美しさに気づくということは、よくあること
なのですが、改めて画家の目のもつ、すばらしさを
感じる出来事になりました


色を感じられること
色を、季節を、身近に思っていること
そういうことが、豊かな気持ち
みずみずしい感性につながっていくと、思えた
そんな出来事でした

善行寺

もう20年近く前の話です
社員旅行にいった朝、なかなか、思うように
指導できない、社員について、そのときとても読んでいて
気持ちがその本にはいった、河合隼雄先生の、「カウンセリングを語る」
という本から、思ったことがあります


牛にひかれて善行寺参りということを、例にだしていて
自分にとっての「牛」とは、まさになかなかいっしょにいて
指導だとか、会社にとって必要な存在になってもらう
というところで、うまくいかない社員のことを、思って
そう、言ってみたのです


その社員は、自分にとっての「牛」ではないか?
この人を、どうにか、いっしょに歩むようになることで
自分の人生の意味を、見出せるのではないか


ここに、ひとつの、間違いというか、自分の立場から
思う、思い込みということが見えてきます
確かに、「会社を運営する」という大義名分からすれば
「やらなくてはならないこと」と見えるのですが
そうした、ワクをはずしてしまうと、ようは自分の気持ちを
他人にぶつけてる、つまり、ひとりよがりな構図が見えてきます


会社を作るということについて、その立つ位置というのが
ぼんやりしてくると、なにをするのが「正しい」のかも
ぼんやりするものです


こうしたことを、経て、自分の都合のいい、また自分が
経営する会社に都合のいい、拡大解釈を加えて
現在に至るということがあります


牛にひかれて善行寺参り
つまり、なにか、ひとつこだわりをもって、人生の意味を
見出すといっていいでしょう
そういうことが、できる場にしようと言いました


人は生きる
人は、ただ、自然体で生きる、なんてことができたら
すごいことだと思うのですが、よくあるのは
やっぱりこだわりをもって、言い方を変えれば
生きがいをさがしながら、生きますね
そのこだわり、生きがいさがしのやり方を、いっしょに
やりたい。そういうことを、言い続けています


おせっかいなこととも、言えます
ただ、いま生きてる、20代、30代、40代もそうかな
そういう人に見えてない、なにかをいっしょにさがす
そういうことが、自分は少しできそうと思うのです


どうやって?
ここは、先代社長のやり方であり、それを、マニュアルにしてくれた
といっていい、河合隼雄先生の本があるのですが
なんといっても「傾聴」ということがあがると思います


人は、誰かとであって、いいやりとりをして
生き方に気づくのです
その誰かが、「牛」であり、気づいて、生きる意味を
知るということが、善行寺にお参りするということに
なると思います


先週は、善行寺で、なぜ、自分は「牛にひかれて善行寺参り」
この言葉にこだわるのか、そういう思いを、持ちました

あなたはどんなときに、意欲がでますか

当社の、社員評価の項目に「意欲喚起力」という項目を
去年から増やしました
このこと、経緯を書きますと
ある社員に対して、その仕事に対するときの態度、意気込み
といったことが、いまひとつだ、と思えることが
あります

いいえ、私自身にしたって、そのときの仕事への情熱だとか
責任感といった、大事なことが「足りてない」ということが
あると思います
自分自身のとき、どうしてるか、というと、まず「足りてない」
という認識を持つこと、そして、自分自身を「鼓舞」し
仕事へ対する気持ちを高めるということをしているときが
あると、思いいたるのです


意欲がでるとき


1.自分のやりたいこと、と合致するなと、感じるとき
2.誰かのメリットに、自分が動くことで、なるんだと感じるとき
3.あるステージで、誰かが活躍する。そうしたことのアシストを
できるなと感じるとき
4.自分の成長につながると感じるとき
5.複数の人から、いまやろうとしてることが、意味があり、それを
やることで、後々までよく思い出すくらい、いいきっかけになった
ということを言ってもらうなりして、理解してるとき


ざっと思い出してみて、こんなふうに思います
さて、あなたは、どんなとき、「意欲」が出ますか?


仕事をしてもらう、社員を指導だとか、相談をいっしょに
してるときに、「大本」といっていい、何をやりたいのか
やりたい気持ちの、その傾き加減はどうなのか、大いに
やりたいと思ってるのか
こうしたことが、とても気になります
そして、そうした、気持ちの傾き加減ということ、「怪しい」
とか「弱っちょろいな」と思うことが、しばしばあります


思い出すと、仕事をして、まだまだ日が浅いときは
そういう傾向が自分にもあったんだなと、思うことがあります
そして、その弱いこと、などから、せっかくのチャンスを
逃してる、そういうことがあったんだろうと
すごく、悔やまれるのです


いい仕事していくというときに、やっぱり「姿勢」といったことが
とても、大きな要素として、あると思っています
意欲が前倒しにでていれば、その前かがみな姿勢が
じゃあ、チャンスを与えてみようという、まわりからの
アシストにつながるものだと、感じます


ときどき、思います
あ、この人と仕事したいな、そんなふうに思える人は
必ずといっていいほど、いい仕事をしてるのです
そういう経験から、理想は高く、やってることが、前向きで
質も高いのだ、と感じることができます
これから、まだまだ経験を積んでいく人には、そういう
いい仕事をして、まわりからいい仕事をしてきたんだなと
感じる、そういう積み重ねをしてほしいと、特に思うのです

やりたい、と思う

別所哲也氏は、アメリカでショートプレイ、つまり
短い演劇のいくつかをみて、感銘をうけ、自ら
日本で、ショートプレイの祭りを立ち上げたと、昨日の
日経新聞で読みました


ショートプレイ、懐かしい


実は別所氏もそうのようですが、大学のESSという英会話サークルにて
演劇をやるという活動をしてる大学があります
別所氏は、日本で戦前からある、リーグを組む、慶応で
キャストでスタートしたとのことです
演劇とは、なにか?それを知るのに、演劇の短いものを実際
やってみよう、そういうことで、ショートプレイに
取り組む。


やりましたね。Post early for christmas,
The show must go on
など。そのなかのセリフをいまでもいえるくらいです


人間、やりたいことがあったら、やる、そういうスタンスって
ものすごく大事のように、思います
もちろん、やりたいとなったら、なにをやってもいいなんてことは
ないでしょう。世の中に誰がみても迷惑なことをすれば
ただの、やっかいな人です


やりたいから、やる。しかも、ある心意気がいると思いますね
自分がいいと思った、価値を共有しよう、という心意気ですかね
ビジネスにおいてもそうなのだと思うのですが、たとえば、農家が
自分で作ってる野菜、おいしいと思って、それを食べてほしいって
やってるか?
メーカーだったら、自分たちの作る製品について、自分がいいと思って
どんな大切な人にも使ってほしいというものを、作っているか
そういう、ベースの大切なことが、大事にされてこそ、ビジネスであり
人と人が協力してやる、いろんなことが、長く続き、その価値を
認めるということがあるのだと思います


別所氏は、演劇の楽しさ、そして、人間として、そのなかにある
なにかを磨くのに、素晴らしい効果がある、ということを
共有したい、そういう思いでやってるのだと、記事を読みながら
思いました


ときどき、社員研修などで、頭を柔軟にして、相手の立場にたって
物事をみる、そんなトレーニングをしたいなと思うときがあります
そういうとき、ちらっと思い浮かぶのが、演劇です
研修でよくとりいれる、ワーク・ショップの手法のひとつに
ロールプレイということがあるのですが、この相手の立場にたつとか
その立場の考え方に、自分がならうということが、どうも下手な
人が多いように思います


河合隼雄先生は、カウンセリングと演劇は似ていますと、著書で説明
してくれます。演じるということは、その演じる対象の人物の
人生を生きてみるということだと、言います
そうであるなら、ますます、演劇ということの、すばらしさが
光ります


別所氏の、やりたいことを、やっていく。それも
人にその価値を伝えていくということ、ぜひ、取り入れたいと
思いました

夢を追う

アート、音楽、その世界で私たちを美、だったり
癒しの世界に導いてくれる、そういうパイロットとしての
画家だったり、音楽家がいるということがうれしいし
とても、あこがれます


そうした、アーティストたちは、子供のころにどんな
環境にいたのか?ということをたどるとき、子供のころに
アートや音楽とは、全然別のことに囲まれていたということも
あるのでしょうが、多くの人をみると、音楽でもアートでも
豊かな環境が、少年少女のときにあったという
記述をみることが多いです


十代で、音楽の世界に少しだけふれた、自分は
例えば、歌を歌うということでも、音を聞いて
再現できるということ、声を操作できる能力といったこと
もちろん、トレーニングである程度は鍛えられるとして
自分よりずっといいな、うまいなという人が、ずいぶんいるのだ
なんてことを、思いました


芸術のあれこれにしても、おそらくはスポーツでも
自分よりずっと、進んでる人がいる。こういうことを知るのは
大事とも言えますが、ときに夢を、つぶしてしまう要因でも
あるなと思います


ときに、アートや音楽を職業にしようとなったら
それはそれは、厳しい世界で生き残るということが必要ですね
だから、自分のやりたいことと、職業にできるのか
といったことは、別になるということも、しばしばあることです
だけど、簡単にあきらめてしまうのは、もったいないし
生き方として、どうなのか?ということになってしまいそうです


夢を追っかけて生きるのは、しんどいでしょう
でも夢を、見ないようにして生きるのも、しんどいのではないでしょうか
いずれにせよ、しんどいなら、私は夢を追っかけてほしいなと
思います
さて、でもみんながみんな、アーティストを目指すのも??
なのかもしれないですが


だんだん、世知辛くなると見える世の中。いま私は五十代後半に
さしかかっていて、少なくとも自分の10代や20代を過ごした
世の中よりも、企業も個人も厳しいことになってるのを
感じます
そうしたなか、夢を追いかけるなんてどうなのか?
という声がします


でも一方、生きるということそのものが、実は夢を追いかけること
そうなのではないか?と、自問自答もするのです
できれば、楽をして生きたい、これは本音だと思います
だけど、自分が納得する、生き方を探したい。これも忘れられない
大きなことと思います


自分が納得する、生き方。それは自分を活かす生き方だと
思います


それは、自分のなかで積み上げたもので、力をだして、社会貢献できる
そういうことだと、思います
いっしょに考える、そういうお手伝いはしたいと思います