はがきっていい

友達にはがきを、送るのが、趣味といっていい
習慣化しています


友達に、はがきを送るときに、うれしいことは
はがきに書いてる、自分の様子など、書こうということで
思い出してる、相手の顔など。つまりは、対話してるのに
ちょっと近い、時間になるのです


例えば、自然。景色の良さ、そういったことを、見た
自分の気持ちを書いてる。いま、こういうところで
ちょっと、休んでるんだ、でもいい
内容ではない。気持ちのむくまま、相手に伝えたい
ということを、書くのです


アートにふれるようになって、その見た、アートについて
なにがしら、書いてることも、増えました
印象派の画家が、街の風景であり、郊外の水辺、そして
人物にしても、それぞれのこだわりがあって、描きますね
ある、印象派の画家を紹介する冊子に、例えば、シスレー
「ぼくは空から描くでしょう」などと、その特徴が
書かれていました。実際のところ、ずいぶん、シスレー
絵をみたりしたのですが、そのことを実感したのは
実は、何年もたって、ごく最近だということなどなど


おそらくは、はがきが届くことが、ひとつの相手側の
動機付けになって、はがきで返事がくるということが
あります。これはとても、うれしいことです
つまりは、私が送ったはがきが、うれしかったということの
ひとつの、証明といっていいから。また、やっぱり
受け取った自分が、対話できる気持ちになるから
でしょうね


こんなふうに書くと、Lineであり、メール、まして
電話もない、時代に、手紙というのは、唯一の
離れたところにいる人との、通信手段、だなと
思い返して、手紙ということが、素晴らしいと
思ったりするのです


川端康成と、東山魁夷は、とても親しくしていて
お互いの家に、奥さんも一緒に、招いたり
信州を一緒に、旅したりしたということが、知られています
そして、なにかのおりに、手紙があるのです
訪問もするけど、その訪問のお礼に手紙がある
川端は、東山の最初の訪問のときに、自らがもつ
池大雅与謝蕪村の、十便十宣図を、見せたということも
読みました


どうやら、東山は、こうした、絵を見てみたくて
川端と会いたかったということもあるようです
ですが、その人柄にふれたこと、またおそらくは
お互いの心を、響かせるのものを、相互にもっていたと
言っていいのだと、思います。川端が虹を渡るまで
この交流は続くと、知りました


生きていて、うれしいことは、いくつかあると思うのですが
友と言っていい人と、うれしい交流をするというのは、間違いなく
そのうれしいことに、入るのだと、思います


そのつながる、ツールであり、「出会い直す」といった
ことができる、とても素晴らしい、やり方。それが
手紙ですね

古い友人

古い友達と、ひと時を過ごすのは、うれしいものです
ひとつめは、「思い出す」ということが、心に
とても、いいのです。心のマッサージともいっていいかな
と思うほどです


この1年くらい、「過去は変えられる」ということに、ちょっと
気持ちがいきます。過去は変わらない、と、あたりまえのように
思ってきたのですが、自分の記憶という意味で、ある過去の
記憶がこんな、印象で、こんな色彩で、自分のなかにある
それが、いま起こってること、これからの出来事により
その印象だったり、色彩が変わるのではないか?


「マチネの終わりに」 平野啓一郎のなかで、主人公に
平野は言わせます。「フーガ」という音楽の楽しみ方は
最初聞いた、フーガのなかの主題のフレーズが後の展開を聞いてから
もう一度聞くと、変わる。その印象が変わることこそ、目指してる
ともいえる。と、書きます


冒頭に書いた、思い出すのが、心のマッサージということ
これ、ちょっと、嫌らしい書き方をすれば、自分で都合のいいように
過去の印象を変えてる、のかもしれません
そうしたことを、ついつい、人間はしている。でもだから、つらい
ひどい、経験も溶かして、生きていけるとも言えます
経験から、学ぶという意味では、最初の印象、ひどく、思い出すのは
つらいかもしれないけど、そのひどさ、悲しさがあったり、怒りが
こみあげてきたり、そういうことも、覚えていて、のほうがいいことも
あるのかもしれません


人間は、感情で生きてるということがあります
自分だって、うれしいことが増えるように、生きるのは事実です
なにか、悪い感情でなく、いい感情、できれば、自分、家族のみ
ならず、他人も幸せになるような、そういう視点からはじまる
感情をもっていたい。壮大な話になりますが、人間愛といっていい
そういう、心意気で生きていきたい


古い友達と、話しました
話していて、ほんとに、心のぎざぎざが、溶けるなと思うのは
今書いたような、心意気というレベルで、一致するものが見える
そういうことかもしれません


若い人を育てることを、ずっと、やっているし、そういう生き方を
まわりの人にもしてほしいと思います。その点に、全く一致はしなくても
なにか、他人の助けになるのはいいね、という気持ちがみられる
そんなことでいいと思っています


古い友達と、信州の話をしました。大糸線穂高駅から、東山つまり北アルプス
方面に、道をあがっていって、山麓線と呼ばれる、道路と交差するところが
ポイントになりました


その交差点の近くに、友達の親しくなった人がやってる、ガレットの店が
あり、その店を通り越して、山麓線をもう少し北上した(歩けるくらい)
ところに、十色屋というバッグなどを、売る店があって、親しいのだと
情報交換しました


あるドラマの、オフ会から親しくなった人が、信州にできて、それから
天文台だったり、レストランだったり、知ってる人がいる場所となった
という友人は、信州、安曇野のことを語るのが、とてもうれしそうでした


自分が好きになった場所だったり、こと、もの、だったりを、いっしょに
語れるというのも、うれしい時間です。
きっと、人間にはそうした、「共感」してることへの、響くなにかが
あって、響きあうと、いっそう、うれしくなる、というのは
普通なのだと思います


「蕎麦」の話、「山下大五郎」の話、「池田町立美術館」の話を
して、すっかり、お互いの情報交換に、満足もし、またやろうとなりました
自分にとって、ほんとに大切な、友人だと、実感して時間がたつのを
忘れました

ドーパミン

HUMANIENCE というNHKの番組にて
ドーパミン、快楽を感じる、神経の働きを
解説していて、ちょっと、面白いなと思いました


特にふたつ、あります
「共感」だったり、「思いやり」といったことも
このドーパミン君は、大きく関わっている
また、「学習する」というのですね


スマホを背負って、動き回れるロボットが
学習していく、映像は、なかなか、わかりやすく
例えば、自分の身に置き換えてみれば、お酒を飲む
という自分にとっての、快楽をいかにいつも得ようと
行動してるかということを、見せられてるということも
連想し、理解しやすいな、また、ちょいと、自分って
こんなもんかい、という、自己嫌悪も感じたり。


共感、ということに、とても興味がある自分としては
その共感、を、起こす自分のなかにあるものが
ドーパミンか、となると、ドーパミンがよく発達
したほうが、人間いいのだと、思う気持ちがむくむくと
大きくなります


なぜ?という人は少ないでしょうが、共感する
そういう、心の働きがあるからこそ、人間らしい行動が
できる、と、言えると思うのです
「自分がやられたら、やだな、ということを、他人にしない」
この、気持ちは多くの人が、共感することだと思うのです
こうした、モラルにつながる、人の気持ちというのが
どんどん薄れてしまったら、と、思うとぞっとします


今、↑の文章を書いていて、例えば、20年、30年という
時間軸でみたときに、「共感する力」は私が生きてる日本の
社会で、落ちてきてる、と、感じることも事実で、怖いなと
思います


ここからは、勝手な想像です
もし、ドーパミンという神経を、なにかしらで、強化していく
という方法が、あって、そのことを、意識してできるとしたら?
必ずやったほうがいいとも、言えそうな気がします
あ、もちろん、共感するという力を増やすという視点において
になります


やっぱり、トレードオフの関係で、なにかしら、ドーパミンがよく
働くようにしてしまうと、バランスを崩していくなんてことが
あるのかもしれないなと、これまた、想像します


直木賞作家、安部龍太郎の、「等伯」という小説があります。
等伯は、千利休の死、ということに、非常に反応して、まわりから
みたら、驚くような、そういうことをするとでてきます
詳細は、横に置いて、安部は、等伯のこうした(私の言うところの
共感力だと思う)心の動きがあるからこそ、素晴らしい絵を描く
そういうことにつながってると、書きます


自分自身の共感ということを、思う時、この安部龍太郎の描いた
シーンをときどき、思い出しています


ドーパミン、奥が深いですね

食べること、関心をもつこと

何を、どう食べるのか。
これって、実は生きていくうえで、とっても大切なことなのですが
なかなか、率先して、食生活を見直していくということを
特に若い時って、やらない人が多いようです


食育という言葉が、あって、ああ、いいなと思いました
そして、先週の土曜日は、社員の皆さんといっしょに
食育のイベントといっていい、プロ、保健師の人をお呼びして
学ぶ機会を作りました


保健師の人の話の中心は、「時間栄養学」ということです
この、言葉、聞きなれない人も多いと思います
「時間生物学」と「栄養学」をくっつけた考えとのこと
ぎゅぎゅっと、縮めて言うと、朝食を必ず食べて、特に
朝食には、タンパク質と炭水化物を食べて、一日の代謝
あげていく、ということが、中心にあります


朝の光をあびることと、朝食を食べること。このことが
人間、生きてるものの、コンディションをあげるという
ことから、出発してるのだと、聞きました


全部は難しいかもしれないですが・・・
夕食を減らすということも、大事とでてきました
20時を超えると、身体はお休みモード。だから
時間を早く食べて、できれば、夕食に食べる一品を
朝食にしましょうと、続きます


わっはっは、と、実際のところ、仕事終わった後の「一杯」が
楽しみな自分としては、やっぱり耳が痛いともいえる
内容でした


少し、自画自賛でいえば、朝食は食べます
結構しっかり食べます


典型的な、平日の朝食
目玉焼き、お味噌汁、パン、フルーツいりのヨーグルト
と、なります
ときには、キャベツだとか、じゃがいも、にんじんなどの
土鍋の蒸し物なんんかも、つきます


土鍋、これ、ほんとに、素晴らしい、道具ですね
野菜をいれて、塩、あれば、オリーブオイルなどで
蒸したら、野菜が、あまーいのです。本来の
おいしさだと思います


食べるということに、関心が高くなると、関心を持つ
そのこと自体が、とっても大事ということが、生活のなかで
わかるということも、あります。なにしろ、「食べる」ということは
毎日3回もある、とっても大事なことになります


仕事をする、ということ。その仕事に関わることに、関心を持つ
この態度がないと、うまくいきません
接客をするなら、人と接するということ、それ自体。
技術をするなら、技術について
まず、関心をもつのです。関心をもつということが、わからなければ
まず、時間をかけるのです。本を読むのもいいでしょう
なんどもやってみたりするのです


話は横道ですが、接客態度がすごくいいなという人と
先週末会いました。なぜだろう。おそらくは、人、そのものに
まず、関心が高いのです。人と接するということが、喜びなのだと
思います


論語を言うのは、どうかとも思うのですが
書いてあることはやっぱり、いいこともありますね
楽しんでる人、これが、最高にいいことですね

中華料理が好き

横浜に住んでいて、いいことのひとつ、中華街があること
ですね。JR石川町駅から、歩ける、巨大な中華街。行ってみると
まあ、よくこれだけ、中華のお店がならんでいて、やっていけるな
という、不思議なもの


さて、中華街のお店にも、「格」といったもの、つまり
ラベルといったらいいか、高いもの、中くらい、それから
もっと庶民的?みたいな、ものが存在するようです
最近いった、間違いなく、一番手のラベルがつけられそうな
お店は、萬珍楼です


料理をいただいてみると、そのスープの上品なことに
まず、驚き、スープが上品だから、と、いうところの
いい素材を使ってるんだな、と、感じる贅沢さを感じます


中華料理は、ほんとに、種類が豊富ですね
野菜、肉、鶏、そして、海鮮。点心、など
我が家で、定番のふたつというと、蒸し鶏と、エビチリが
まずあがるでしょうか
萬珍楼にでかけたときは、季節の一品ですという、ホタテの
蒸しものもいただきました


素材の良さを生かすというと、日本料理がまさに、そこを
目指してると言っていいと思います。濃いソースなどで
味付けしてしまうのでなく、素材をできれば、だし、だったり
ほんのりして、味付けでいただく


そういう日本人を意識してるから?か、わからないですが
萬珍楼の味付け、スープは、いい、やさしいものでした


中華料理屋に勤めて、いま中華料理屋の主人である、高校時代から
の仲間、Tさんに言わせると、スープはやっぱり基本鶏だねと
聞いたと、記憶します。いいスープはやっぱりいい鶏から。


Tさんの店も、残念ながら、しばらく行けてないのですが
「町の中華屋さん」という言い方が、たぶん、ぴったりくる
その店、大きくはないですが、味は確かです


ずいぶん、前でした。Tさんの店に、古い知り合いを連れて行った
ところ、その知り合いは、店を知っていて、「餃子で有名な店だね」
と、評判を知っていました


餃子、これ、焼き餃子はとくにそうのようですが、日本で
日本風にアレンジした、つまりは、中華風の日本料理なのかも
しれません。おいしい皮に、肉、野菜、をつめるわけですが
このとき、高級な肉は要りません。むしろ、安い肉でいい
もちろん、鮮度とか出どころは気にしたほうがいいですよ


これもだいぶ前の話。餃子や、ハンバーグというのは、安いお肉を
おいしく食べる、知恵なんだよと、聞いたことがあります
いいえ、こんなにおいしくなるのなら、高い肉をありがたがるのが
どうも、これ、ブランド志向、高級品をありがたがる、なんか
知恵が足らない人?なんて、ちょっと思えてきます


中華料理のおいしいところで、食事してると、中華の考えが
医食同源とか、聞きますね。それをなるほど、などと思えてきます
大人数で食べるのに、いい感じ。うまいものはみのがさない
その、旺盛な生きようという気持ちが、でてるような
だから、中華料理好きですね

大河ドラマ

大河ドラマ 青天を衝けにおいて
アメリカの元大統領を、自分の家に、招いた、渋沢栄一、お千代の
夫婦。お千代の考えで、「にぼうとう」を振舞うと
でてきます


この話、本を書いた人の創作なのか、実際あった話なのか
わからないですが、面白いなと思いました
料理が好きな、私として、その家で食べるなら、その家が
ずっと食べてきたものが、一番おいしいという、原則が
あると思うのです


さて、我が家ならなんでしょうか?餃子でしょうか
湯豆腐でしょうか


さらに、夫人から、自分たち、アメリカの田舎で食べてる
というヌードルを作って見せるということもある
料理は双方向の楽しみだということですね


今回の大河ドラマは、脚本が、女性だから?ということも
あるのかもしれないですが、家族の視点、女性の眼という
のが、ところどころに、だされていて、それも面白いです


近代、明治維新の前後を、やると、大河ドラマはどうも
視聴率を稼げないようですが、今回はどうなのでしょう?


少なくとも、自分は渋沢栄一を、ずいぶん、身近に感じる
ことができました。もちろん「ドラマ」だから、脚色も
あるでしょう。家族を愛し、身の回りの人を大切に
するという感覚が、会社を興すとか、日本で暮らす人に
いい暮らしをしてもらうという発想につながっていく


企業を経営する人は、身の周りの人も、いい、幸せに
なっていくという、感覚を忘れてはだめだろう
というのを、思います


よく、政治をする人が、はたして、自分のほんとに家族の
ために、であり、庶民のくらし、に、寄り添って考えているか
ということが、話題にもなるし、事実そうだと思います


自分も、人のリーダとして、何かを判断したりという立場に
います。渋沢栄一が、父母から、公のために、人のために
生きるということの、原点を教えてもらい、地域ということが
あって、さらにその大きな視点というのを持つということ
今回のドラマは、書いてると、感じます


家族を大事にできるか?
感染症のあれこれがあること。これは、否応なしに、家に
いるという時間を作りました
そのとき、ほんとに、大事だなと思うのが、家族の存在です
家族を大切にする、そういう気持ちが自然ともてているか
このことは、すべて、仕事ももちろん、本の日常の
ちょっとしたこと、すべて影響する根本なんだと、思いました


さて、青天を衝け、も、クライマックスですね
今年は、ずっと、楽しみに見ました

ビジョンの話

人がいきいきと、働くために、と、「メンタルヘルス経営学
のなかで、山崎友丈氏は示す


1.心身と生活の健全性

2.技術、知識、対人関係、コミュニケーションといった、社会的スキル

3.会社のビジョンに対する、理解、共感性


と、三つあげています
会社がビジョンをだしているか


今まで、売上をあげるということに、なんとかかんとか
やってきて、「ビジョンより、食うのが先」といったこと
繰り返し思っていました
おそらくは、まだまだ、人数的に伝わりやすい、10人、15人のなか
だったら、それでも何とかなったのかなと思います


ところが、これからいいえ、少し前からでしょう
人数も20人を超えて、顔をみて、ついてきてね
だけだと、どうもおさまらない
つまりは、言葉で、ビジョンをかかげて、ここに向かっていくんだ
ということがないと、うまくいかないのです


技術者を育てます。社員を育てます
たとえば、当社のwebサイトには、そのための行動
社長みずから、1on1をやる(ランチミーティング
そして、入社するときには、ご両親にも会うといった
直接のコミュニケーションを重視してること
これらは、原点が「寺子屋」にあるといったこと


こうした、ベースになる、やり方、をだして
さて、なにをやるんだ???
システム開発だと、言います


いいシステム、みんなを、幸せにするシステムを作る会社
ということを、言っています
だけど、もっと、現実のやることに、沿ったなにかが
ほしくなってるということも、ありそうです


こうして、ビジョンをだすといったことが、もっと
うまくなりたいと、2年前くらいから、思っていました
そして、こうした、経営者の資質というのも、トレーニングで
つけることができる、そういう考えのもと、自分自身、トレーニングで
ビジョンなるものを、考えてみました


一つの例でいえば、そのビジョンのネタといったらいいか
どういった方向で、と、考えたときに、SDGsということが
浮かびました。持続可能な開発目標と、訳すのだと
いいます
私は、まずいくつか考えて、ふと気が付きました
そうだ、SDGsはそのまま、かかげるというか、利用しちゃう
ほうがいいぞ、っていう気づきです


経営に必要なこと。たくさんあります。またその考えのもとに
なることというもの、いまの世の中をみて、その世の中に
必要なことをするということが、でますね
そうすると、世の中なんてものは、変わりますから
その変化ということにも、ついていくというか、変化があっても
色褪せないものに、といったことが、大事でしょう


だから、ビジョンは考え続けていくもの。まさに現在進行形
ということが、大事かなと、思うのです