フィトンチッド

この内容で、このブログに、おそらくは、もう5回以上
書いてることがあります
経営者にまだなりたてだった、十数年前、社員の指導で自分自身に
疑問をもっていた、タイミングでした
社員旅行で、那須塩原にいき、泊った宿のすぐ近くで
大きな木があり、そのかたわらに、フィトンチッド
説明をみたのです


27日の日経新聞、nikkei プラス1に以下のような記事がありました
「森林浴の効果を見直そう」 神田東クリニック院長 高野 知樹


森林浴を意識しなくても、森に入ると独特の香りに安らぎを感じた
経験をもつ人は多いのではないか?この香りの正体はフィトンチッド
という揮発性物質・・・
(中略)その主成分テルペンはマイナスイオンの発生を増やすことに
関与してるほか、リラックスしたときに生じる脳のアルファ波を誘発
することも、報告されてる
(後略)


フィトンチッドということが、大事だし、自分の心をも落ち着ける
効果があるということ、その最初の那須塩原の説明にもあったと
記憶します


実際、社員の指導ということは、とても力をいれていたし
自信もありました。でもいざやってみると、なかなかうまくいきません
この気持ちはいまもあるのですが、さて、待てよと。ちょっとやって
うまくいかないくらいで、おい、長澤、それでシュリンクしてしまう
そんな「やわ」なおまえだったのかいと、自問自答したのでした


人の心、人の気持ちは、複雑だし深いものです
その心になにかを、伝えて、こちらの思ったように振舞ってもらおう
などと、虫のいいことを、考えるのですから、そんなに簡単には
いきません


そんなことも、忘れていたのかと、ちょっと、自分のことを
戒めました


それから十数年の月日がたち、いまだって、人の指導ということ
うまくいかないことも多いのです。ただ、ずっと思ってること
うまくいかないからといって、「焦ったり」「自分を疑ったり」
そういう、ネガティブな発想はしない、というかできるだけ
減らすと、決めています


少なくとも、リーダとして、人の指導に携わるのなら、自分自身が
ネガティブ思考では、どう考えたって、人はついてきません
だから、いろんな視点をもち、すべてがうまくいくなんてことは
まれ、という視点で、物事を考えないと、というスタートです


ここ、2年以上になる、感染症のあれこれ。そろそろ、出口もさがしたい
ところですが、なんといっても、人の命に関わる大事なことが、次から
次へ、課題としてでるのです。軽はずみにはいけないですね


フィトンチッドにふれて、自分の心身をいいほうに導き、仕事も
なにか、ちょっとずつでいい、いいほうにしていきたいです

ハイジ

アルプスの少女ハイジ、アニメの作品が
2020年に再放送されました
その作品の、もってる、質の高さ、それぞれ登場人物の魅力
ストーリィのすばらしさといったことに、すっかりファンに
なりました。原作も読みました


ハイジという、真っ白で、純粋そして、人間のやさしさといった
ことを、持ち合わせた、キャラクターが、おじいさん、ペーター
クララ、クララのおばあ様、ペーターのおばあさまと、やりとり
して、成長もし、受け取った側の人も、気づき、人間の生きる
ということに、目覚めていくという、すばらしさ


一度は心を閉ざすように生きていた、おじいさんは、ハイジとのやりとりを
ひとつの、触媒として、周りの人ともまた、交流をはじめるという
すばらしさ


人間は決して、ひとりで生きていくことはできないのだと
この物語は教えてくれます。「アルプス」だから、わかる
生きることの大事さ、しんどさ、季節ということ


ここに、アルプスだから、と書きました。これは今、自分も
含めて、都会に住む、生き方への、ひとつの警告といって
いい言葉になります


山に住むという、しんどさが、ひとりで生きてるのではない
そういう、ことを、教えてくれる
人間は楽なほうへ、生きようという、安易なところにいようという
傾向がどうしてもでます
自然のすばらしさ、四季があるということを、感じながら
生きるすばらしさ。そういうことに背をむけてしまってる


おじいさんは、薬草の知識をもち、山にどんな草が生えてるか
どんな野草が食べられるのか、知識をもち、羊の飼い方、乳を
チーズにするなど、生きることに、必要なことを、もっています
だけど、それだからと言って、人と交流しないというのは
間違ってると、ハイジを育てるということを通して、学び直す
学びほぐすということ、を、するのです


高齢者、年配の人が活躍するということも、この物語の
すがすがしいことであり、もうすぐ60歳になるのかと自分のことを
思うと、はげみになります


クララのおばあ様は、その洞察力と、愛情で、クララとハイジを見守り
クララが元気になるのを、信じて応援する。ペーターのおばあさんは
ハイジが、賛美歌を読むということを、心からありがたがり
人の役に立てるということの大切さ、喜びを伝えています


年老いた人の、役に立つということから、子供は実際誰かの役にたつ
ということを、実践して、そうした経験が、どういうことにつながるか
自分の葛藤と、相対したときに、その意味をどう受け取るといった
ことになるか、知るのでしょう


ときどき、両親のほかに祖父母とも、いっしょに暮した
という人は、人間としてのやさしさ、について、なにかしら、意味を
知ってるといった期待をもちます。アルプスの少女ハイジを読み解く
ことで、その意味を、知ることができそうです


人間はひとりでは生きられない。そのことを、言葉でなにか
伝えるのでなく、物語で、自然と、そうなのだと、受け取れる
そんなふうな、すばらしさが、この作品にあります
なんという、ありがたい、ことなのでしょうか


アルプスの田舎と、フランクフルトの都会、といって
国で分けてないのも、素敵なこと、とも、言えそうです

おうちレシピ

テレワークがふえて、お店で食事をするということが
減っていって、必然として、自宅で食事をしてるということが
増えています
ということで、レシピを増やさないと、ね、ともなります
ただ、それは限界もあります


料理研究家 土井善晴さんは、一汁一菜ということを
言っておられます。すごい、いいこととも思います
こうした、シンプルにするという考え、毎日食事を
作るといった観点からは、大事にするということ、いいなと
思います


一方、やっぱり、食事特に夕飯といった、時間をかけて
食べたいみたいな、気持ちがあると、食事に「華やぎ」が
あるのがいいなと思うことも、おそらくは、相当数の人が
思うこと、と、思います


子どもというか、10代、20代のころって、肉が好きですよね
自分もそうでした。よく母親は、おまえはお肉のおかずだと
うれしそうに、よく食べるねといっていました
食事を作る人は、食べる人の好みというのを、やっぱり
考えるもの


もちろん、「肉」=「華やぎ」ではないのですが。
少なくとも、ごちそうの、語源もそうだということですが
食事を整えるために、「わざわざ」なにかしたという感じが
あるのが、大事ともいえそうです
それは、なにかおいしいものを、知っていて、そのために
ちょっと遠くの店まで買いに行くだとか、「旬」のなにかを
得るために、わざわざ、なにかするということ、になりますか


夏、という季節を考えると、夏野菜ということが、まず
うかびます。今年、レシピがふえたということでいうと
なす、ですね。なすの一夜漬け、ナスの炒め物。
先日はいつも食べてる、なすのお味噌汁、なすをちょっと
油でいためておくことで、こくがでるということが
わかりました


ほんのひと手間、ちょっとふやすことで、料理がおいしくなる
この感覚を、ずっと持っていたいと、思います


いろんなものが、好きだし、いろんな料理を知りたいと
思います。家で食事するということが、多いこと
これ、やっぱり外食して、おいしいなということが少なくなってる
ということも、家の食事を、なにかするというときの、ひとつの
うまくいかない要素と言っていいかなと思います


適当なタイミングで、外食もして、あ、おいしいな、マネしようかな
ということが、あると、それで、一つヒントになって、自分で
作るときの、アイディアにつながるといっていいこと
ありそうです


「まごわやさしい」
という言い方で、それを食事にとろうという、話、ずいぶんまえに
聞きました
ま:豆、ご:ごま、わ:わかめ(海藻)、や:野菜、
さ:さかな、し:しいたけ(きのこ)、い:いも


これをとろうということ
とてもいいですね
「食」ということに、とても感心のある、つまり食いしん坊の
自分は、こうしたいいなという食材をふやすということに
もっと、気持ちをもって、やっていこうと思います

野沢温泉

上の平ゲレンデ、というのは、野沢温泉の真ん中と
いってもいいかもしれません。
温泉街から「遊ロード」と呼ばれる、動く歩道みたいな
坂をのぼって、ゲレンデにでると、日影ゲレンデです
そこから、ゴンドラとリフトをのりつぎます


もしくは日影ゲレンデのお隣にある、長坂ゲレンデから
ゴンドラ(2年前にリニューアル、360度見晴らしよい)に
のれば、乗り換えなしで、上の平ゲレンデです


今回は夏に行きました。長坂ゴンドラは動いていましたが
いつも運転してる、CX-5にて、上の平までいってみました
運転して、ゲレンデを大回りするように、登っていくと
あらためて、野沢温泉スキー場が大きいことそして
山の斜面が急峻なことに、気が付きます
でも、坂道得意なCX-5。ぐんぐん、上ります
おおよそ、20分ほどの、上りをいくと、ひろく開けた
上の平(たしかに、平です)にはいっていきます


スキーシーズンにいけば、真っ白ですが、今回は、キキョウ
カライトソウ、ヤナギランなど花々が迎えてくれました
その、花の咲いてる、まさに「ガーデン」と呼びたいところに
ピクニックテーブル、パラソルを備えて、まったりできる
空間ができています


大きなパラソルの下で、スケッチをしました
実際、うちの奥さんは、絵を描くのが好きです
彼女の絵を描いてる、その時間は、なんといったらいいでしょう
おそらく自分のなかで、自分らしい自分になれる、時間と
いっていいかもしれません


そういう時間がもてるということが、少しうらやましくも
あります。自分にとって、同じように自分が自分らしくなれる
時間って、なんだろうと、思うと?
読書でしょうか?それとも、社員研修企画をしていて、いいアイディアが
うかんだ瞬間でしょうか?


やっぱり、スケッチと比較できるなにか活動というのは、結構思いつくのは
難しいのかもしれません。
今回は、ほんの、15分くらいでしたか、私もスケッチの真似事を
してみました。いつか、仲のいい人に、スケッチはいい、なぜなら
その対象をよくみるからだ、と、教えてもらいました


見ること。実は疎かにしてるということもありそうです
見ること、聞くこと、これ、すごく大事ですね


さて、白樺の木をスケッチした、自分。どうしても絵、というか描く
という行為が、うまくいかないことに、気持ちがいってしまう
ところはあるのですが、ちょっとだけ、「見る」ということを
やってる自分にいいなと思いました


なにか、してみる、というとき「自画自賛する」っていいことですね
なかなか、うまくならない、テニスにしても、やっぱり練習すれば
練習した分はうまくなるのだと、自覚します
そうして、努力した自分を自画自賛してる、って、いい時間です


上の平ピクニックガーデンで、しばらくスケッチをして、ランチに
しました。しばらくぶりの野外での食事。それは用意した
というより、その場で買った、笹の葉寿司、カレー、サンドイッチ
という簡単なものでしたが、それはそれ。この雰囲気のなかで
食事すれば、舌も胃袋も大満足です


野外で食事といった、ちょっとしたこと、が、愛おしいですね
そういう、ちょっと手間をかけた、楽しみというのを
もっと増やそうと思った、休日でした

仏像の話

箱根、成沢美術館にて、奥村土牛円空仏のスケッチを
だいぶ前に見ました


そのころ、小山ゆう あずみが気に入っていました。その作中の人物が
仏師をめざしてる青年。その青年と仲良くなったあずみ。
青年は、自分が作る、仏像が長い間、人におがんでもらったりする
できれば、そのみてくれた人になにかしら、あたたかいものとか
気持ちがなごむなにかを、感じてもらえる。そんな仏像を作りたいと
語る。それを聞いたあずみは、すごいと叫び、そのお手伝いがしたいと
言う


それははたして、どんな仏像だろうと、想像してるころ、箱根で土牛さんの
スケッチをみたのです
やさしく、人をつつむようなあたたかさがあったのを、思い出します
そのスケッチがよくて、円空仏ってすごいなと思ったのです
ところが。
数年たって、上野、東京国立博物館にて、円空の仏像の展示を実際みたところ
そんな気持ちにはならない、いいえ、円空円空で、その作品のよさは
あるのだろうと、想像はできるのですが、あずみから土牛とつながった
自分の勝手な、こうだろうは、ずいぶん違いました


今思い出して、円空の、なにが円空なのかというのは
自然に近い、木々に、彫り付けた、その自然になるというか
溶け込んでいるような、すごさということに、なるかもしれません
いってみれば、抽象画に近いような、印象です


あずみで、想像し、それがビジュアルになったと思った、土牛さんの
スケッチは、具象画なのです


土牛さんというフィルターをとおして、円空の良さということを
受け取ると、それが伝わってくるといってもいいかもしれません


なにか、少しくせのある、食材も名料理人が、ここぞというウデを
ふるって、料理すると、なんともいえないスパイスになって
その料理がひきたつといったことに、似てるのかもしれません


仏像をみるのが、だんだん、好きになっています
仏像もたくさんの種類があって、なかなか、覚えきれません


今年の春に奈良にでかけて、秋篠野寺の吉祥天、唐招提寺
千手観音、薬師寺薬師如来、どれも素晴らしい仏像です


思い出すまま、仏像をいえば、東大寺戒壇院の、四天王
京都、聖護院の不動明王東大寺三月堂の不空羂索観音


それぞれにについて、そう、具象画をほめるように
具体的に、記述できればすごいのですが、やはりどこかで
記憶があいまいになってしまうのと、その仏像自体の
なにかをとらえきれてない?ゆえ、書くとすればずいぶん
ごまかしがふえそうです


お寺にいって、その仏像をみて、心が安らぐ感じがするのは
おそらくは、仏像をおがんで、ずっとおがんで、たとえば
親、先祖のことを思ったり、自分の至らないことを悔いたり
いろんなことをしてきた、自分たちの先祖からのDNAが
気持ちを和ませるということがありそうです


それは「火」を囲むとき、家族といっしょに安心な時間だ
と思えた、そういう時間を過ごしてきた、自分たちが、そう
感じることに近いものがあると、そんな風に思います


また、奈良だったり、鎌倉の仏像に会いたくなっています

小林古径

小林古径記念美術館にて


小林が残した、言葉にはっとします
今の時代に、描きたい、表現したい、絵を描くことが
大事です。
例えば、雪舟が昭和の時代のあのままの絵を描いても
つまらないです。(文章は多少違うと思います)


文化勲章をもらったという、小林は、なんて厳しい、なんて
鋭く、今ということにこだわった仕事をしたのだろうか
ということが、伝わってくる言葉だと思います


2週間ほどまえに、DIC川村記念美術館にて、カラーフィールドという
展覧会を見ました。その図録から、モネのことを、高く評価していた
カラーフィールドのアーティストということが解説されていました


印象派というのが、具象の絵の、なにか最高のもの、みたいな
扱いをされます。特にオークションなどで、値段をだせば
すごいものです。そんなことから、本来、絵の評価そのものとは
ちがうということで、値段が独り歩きして、それが「すごい絵」
みたいになります


少なくとも19世紀の後半だったり、20世紀の初頭というのは
アートであり、おそらくいろんな文化が、あふれでるといった
現象があって、その時代には、その時代のアートが、でてくる
といったことを感じます


小林は、1883年の生まれ。その時代の流れというのを、感じて
生きていて、でてきた言葉だと、感じます


今とは?
どんな時代なのか?
自分が社会人になって、すぐ、バブルということがあって
それと比較して、「失われた20年(いえ30年?)」とか
経済がずっと停滞してるといったことがいわれ、
おそらく、平成生まれだったりすると、感覚として、昭和の
自分よりずっと、経済的に恵まれてないといったことがある
実態を、時々感じます


今とは?
そもそも地球環境そのものが、エネルギーを使いたいだけ使って
こわしてるという感覚があるのですね
今年の8月は猛暑であり、東北北海道は、大雨でした
これは、地球温暖化の、一端なんだと、主張する人がいるようです


今とは?
一番大事と思われる、人と人のつながりということに
話の焦点をあわせるとすれば、「希薄になってる」と
感じることが、いっぱいあります


今を感じて、小林は絵を描くのだと言います
これは、言い換えれば、今を意識して生きなさいという
教えと、とることができます


今とは?
はたして、どう生きるのが正解か?
もちろん、正解なんて、自分でみつけるしかないのです
どうとらえたらいいか?自問自答を続けていく必要があります

旅にでて

旅先から友達に、はがきを書くのが好きです
それは、友達のことを、思う時間だからという、第一の
理由のほかに、自分のことを、はがき書くことによって
内省、かつ、自分の気持ちをあげていくという、ことが
第二の理由として、あると思っています


旅の楽しみはいくつかあるとして、そのひとつ。なにかを
見たり、思いもよらないことに出会ったりするということが
あると思います
景色にしても、山をみれば、その雄大さ、川だったり、水辺に
でれば、そのゆったりさ、または激しさといったことに
心が、動きますね


そうした、自分が得た、なにかしらの気持ちを、はがきにしてみる
それは、その見た風景をもう一度味わうということになってるなと
感じるのです


友人がそこにいたら、どんな気持ちを共有できそうか?
ただ、「いいね」でなくて、あいつだったら、どんな気持ちで
自分との差みたいなものを、感じさせてくれるか
あいつなら、もしかして、言葉じゃなくて、その振舞いで
うれしいことを、表現するかななんて、想像するのは、とても
いい時間ですね


山を見るなら、信州がいい、そういう思い込みかもしれないですが
くりかえしてる、旅の楽しみがあります
思い出せば、たかだか、この20年ほどなのですが、山を見るなら
ちょっと離れて、少し平らなところをへだてて、反対側の丘なり
山なりに、登ってみるというのが、すごくいいことに気が付きました


信州で、そういう場所、が、いくつか、お気に入りであります
長峰山。JR篠ノ井線、明科駅から、近い、徒歩で登れば、60分くらい
でしょうか?ここからの、安曇野北アルプスの景観は、とても
広いです。安曇野、松本平が複合扇状地ということが、
よくわかります。


信州の魅力のひとつが、山の近くに、広く広い、平らな土地が
あるということに、なろうかと思います


ここ最近で、気に入った、アルプスの展望台が、中山高原ですね
権道31号線、長野大町線、「青具」という交差点を、長野から
きたら、左折。そこから、車だったら、15分ほどでしょうか


この中山高原の、景色をみて、はっとしたのは、人工物を
まったくいれない、アングルで、北アルプスを眺められる
ということです
キャンプ場にもなってる、中山高原、またぜひ行きたいし
できれば、泊ってみたいです


はがきの話題にもどります
たとえば、この「人工物が入らない、北アルプス」をみた
自分の感覚、うれしさを、文章で表現してみるのです
表現する過程で、自分がみた、景色を思い浮かべて、その空気感
その自分の気持ちのあれこれを、回想します


もしかしたら、はがきを書くということは、そうした
感覚を磨く、とてもいい、トレーニングなのかもしれませんね