研修における、ワーク・ショップ

今日は、社員の何人かと、研修を行います
よく用いるのは、ワーク・ショップの手法です
2年ほど前だったと思います
新聞のコラムで読んだ、ワーク・ショップとはという
文章に、ふむふむと、うなづきました
それは、ワーク・ショップ、について
ワーク:考える、なにかしらの仕事なりをする
ショップ:お店をやる。店員と客になる
というのですね


お店になるというのは、八百屋だったり、ラーメン屋
だったり、専門店だというのです
専門店は、客は自分がほしいものを言って
お店の人は、それをさがしたり、アレンジすることで
提供するのだというのですね


そんなふうに、ほしいものにたどりついていく


具体的には、なにかテーマ、日ごろから、疑問に思っていることなんて
特にいいのですが、そうしたものを、相手に伝わるように
なにかしらをします
単純な話、紙に書いて、みせながら話すなんてのも
有効だと思うのです
実際のところ、ある事象なりを、正確に相手に
伝えるって、結構大変です。やってみると、ずれていたり
するものです
日常生活だと、そんなにずれて伝わったとしても
大事にはならない、から、といってそのままに
しています


だけど、意識して伝えてみよう
きちんと伝わったのかなって、やると、あれれってなります


逆にいえば、伝わると、気持ちいいし
もっと伝えたくなるし、ということが起こります


双方向で伝えあってみて、そこから、広げて深めてみる
(ここが、専門店のあれこれに似てる)
そうすると、化学変化ですね
思ってもみなかった、考えが浮かんだり
相手がなにかいったことで、自分の考えが深まったり
変わったりするものです


これが、ワーク・ショップの醍醐味といっていいでしょうね


もうずいぶんまえ、自分が意識しはじめたのが、10年前くらいで
そういう意味で、実際は、20年まえくらいからでしょうか
大学では、こうしたワーク・ショップのなにかを、とりいれた
グループ学習といったことを、とりいれてることが多いようです


ですから、社員研修で、ワーク・ショップの、そうブレインストーミング
だったり、ワールド・カフェなんて、手法をやってみると
何人かのなかにひとりとか、やったことがある人がいるのが
見られます


ブレインストーミングにしても、ワールドカフェにしても
少しやるには、やり方に慣れる、習熟するということが
必要ということも、気づきます


どちらもそうだし、だいたい、人と相対して、なにかやるときには
あると思うのですが、少し、演劇的な要素といっていいものが
はいります。そういうことがうまくいくと、ワーク・ショップは
輝きます
演劇的な要素、言い換えれば、「ふりをすること」ですね
少しここは、相手の反応をみるのに、強めにわざと、言ってみよう
なんてことは、その初歩といっていいかもしれません


研修をやって、元気になにかのヒントをみつけた!という
声を聴いたりしながら、過ごすのはとても、うれしい時間です
今回、どんな声が聴けるか
どんな、反応から、こちらも学べるかとても、楽しみです

うつわの楽しみ

鳥取県、岩井窯の山本教行さん
うつわ、をみて歩く、その楽しみが少しわかった
という感じのころ、うつわは使ってこそいいのだと
教えてもらいました


うつわ、きれいだったり、結構お値段も高かったり。
そうすると、こわしてしまうのが、こわくて、しまいこんでしまう
わりとよく聞くことだし、自分もそうでした
いいえ、山本さんは教えてくれました
使うことによってこそ、いいのだ
そのうつわから、いいものがもらえるのだ。
自分は人間国宝のうつわだって、使う


聞いたときは、ピンとこなかったのです
でも、やってみようと、気に入った作家のものを
買ってくると、使うようにしたのです


ピンとくるというのは、ない
だけど、うつわがもっと好きになったのは事実です


食器だったら、つかってこそ、いいなという気持ちが
高まるものです
これはもう、そうだといっていいでしょう


料理が好きな自分。
料理を盛る、うつわについて、興味をもてたのですね
これが、うつわを、いろいろ見て回る、そういう楽しみに
つながっていきました


うつわを、使うということ
そして、ときには、人が盛りつけたものをみてみる
それで、食べてみる


好きだった、まんが、「美味しんぼ」には
うつわがいかに、大切か、そして日本人の美意識を
育てているか、書いてるところがあります


主人公の父親、海原雄山は、主人公の幼少のころに
市販の子供用の、食器のレベルの低さを、みて
こんなことでは、子供の美しいものを見る目が育たない
として、自ら、子供用の食器を手作りした
というシーンがでてきます


これ、なかなかできないことだし
本当に、食器というのは、その人の美意識を育て
引き出すものだと、今は感じるのです


話は冒頭にもどって、岩井窯の山本さん
民藝のもの、もちろん好きなのだけど、たとえば
食事のとき、これでもか、と、民藝のものばかり
でてくると、うんざりしないか?


このことも、ああ、なるほどと、目から鱗の、一言でした


民藝のうつわ、確かに素晴らしいものも多い
だけど、コンセプトが似てるゆえ、どうしても
受け取る側は、似た印象をもつもの・・・


食事は楽しくしたい
うつわも、ある程度の多様性といったことを
取り入れたほうが、自由、開いてる感覚で、柔軟な気持ちで
見たり、使ったりできる


うーん、なかなか
そういう態度って、例えば、人に相対する
仕事を続ける、趣味の世界でも、いろんな作家にふれる
大事なことと、つなげていける、考え、なのでしょう

エッセンシャル思考

優先順位を決めて、その低いものは、捨てる
なかなか、言うは易し、行うは難し
かなと、感じます


私は人材育成を、人生で追っかけたい、どうしても
やりたいことと、決めました
そのために、社員と向き合います。そのために、社員を採用します
そして、人材育成がもっと、よくできるためにやる、自分へのトレーニングは
積極的に、やりたいと思います


人材育成、「場」が大事だと、感じること増えました
ある人が、自分を客観視し、よりいい仕事、品質であり、
ある役割をすることで、自分の仕事の幅を広げて
より活躍するようにする
そういう場。いろんなレベル、方向がありそうですが
システム開発でいえば、まず、いくつかのプロジェクトを
経験するって、大事だと、仲間と共通認識ができました


さて、そうなると・・・
もう少し社員数を増やしていくということが
重要だと、思い始めます


人材育成ということと、規模拡大ということは
相反する、要素があります
一番、明確なこと。ひとりの人間が目を配れる人数
というのは、限られてるということです


そうなのですが、プロジェクトをローテーションするという
ことを、定期的に行うには、社員数を増やす必要がある


エッセンシャル思考


今も私のなかで、規模拡大より、人材育成ということの
優先順位が高いのです
この例のように、なにかをやろうとして、別のことも
気にしなくてはならない
こうしたことが、「世の中」において、普通に起こるのだ
そういうことも、知って、なんとかそういう折り合いといった
ことを、つけていくことが、大事です


客観視したり、自分を日常のなかの、ではなくて
俯瞰してみて、どういうことを、することが大事なのか
想像、また、一歩踏み込んで考えられるということが
必要と、感じることが、ちょくちょくあります


そのために、いい情報をもらえる人と、話して
自分を、社会との関わりのなかで、理解するってことが
必要です


企業も、業界のなかで、他業界との関わりのなかで
どういうポジションでいるのかってことを
理解、また、俯瞰してみるってとても、大事だと
思います

意欲喚起力

この週末に社員を集めて、研修を行います
私が企画した、今回の研修のテーマは「意欲喚起力」という
キーワードを掲げて、いかに意欲喚起力なるものを
身に着けるか?といった、問いをなげかけて
はじまりました


曰く
「目標を明確にすること」


曰く
「自分ができそうなぎりぎりのところの、目標を定めること」


曰く
「自分のやること、ここのネックとなってることを、見える化


などなど。
なるほど。


意欲喚起力を、昨日ひとりの参加予定者と準備していて
いい言い換えというか、例えとなる、イメージに言語化することが
できました


スポーツのアスリートたち。個人の競技にしても、チームスポーツにしても
記録を残すとか、優勝するとか、活躍するアスリートについて
たとえば、身体能力が最初いかにすぐれていても、それを、伸ばす能力が
かけていて、大成しないという選手がいかに多いかという話、知っていますか


伸ばす能力と書きましたが
A,B二人の選手がいたとして、同じ試合をし、勝ったり負けたり
していくわけです。Aさんは、勝って、学び、負けても学び
ひとつひとつの試合、いいえ練習であっても、仲間とのやりとり
コーチからの指導、ひとつひとつを、自分の糧として、プラスに
持っていける
一方、Bさんは、同じ試合にでて、勝ち負け、仲間もいる
コーチもいるのだけど、ひとつひとつを糧にできない
次に生かせない


この、A選手のやってること、そういう生き方を、自ら選んで、自ら
意識してやっていける能力、これが、意欲喚起力と言っていい。


人は、試合に勝てば、奢る。負ければ落ち込む。なかなか
それを乗り越えて、学びに結び付けるって、できない場合が多い
それも事実
だから、長期の自分の成長を、ずっと心に強く思って、勝ったらその
勝った、要因、負けたら、それも同じ
そういうことを、学びととらえて、次に生かす
これは、強い


人間、生きていれば、いろんなことが起こるものです
素晴らしいこと。たとえば、あなたの人生を豊かにする、なにかを
持ってる人との出会い
苦しいこと。今日の感染症のいろいろは、知っての通りですが
成長のための、苦しみ、仲間が危機に陥ることもある


こうしたことを、学びととらえ、また過去に学んだことを
発揮する場ととらえ、ポジティブに利用しちゃうそういう
したたかさを持ってほしい


どう生きるのか
どう生きて、自分自身をどう生かすのか?
このことについて、真剣に考え、行動してほしい
一生懸命、生き続けることで、「ちょっとやそっとじゃ、めげない」人間に
なりたいじゃないですか


さあ、いっしょに進もう

 

共通点と相違点

自分と相手の共通点と、相違点ということを
だしてみる。そういうことが、自分を客観視するのに
役立つのではないか?と、考えます


設計ということを、フォーカスしてみます
設計する、力、システムを設計する力はなにで、測れるか?
なにかサンプルになる、話をもって、相手と自分の設計力を
比較することができるのか?


実際、たとえば、画面のある項目を定義するといった
ひとつの機能、の詳細について、どうするかといった
ことも、ありますが、そうしたことの前に、これから
作ろうとしてる、システムの目的は何か?ということを
設計する、関係する人すべてで、一致させておくって
大事なことだと思います


そういう意味で、システムの目的に関わることにおいて
それぞれの立場の人が、ストレートに、その持つべきこと
こうしたことがはずせない、役割だと、伝えあうということが
必要です


あるシステムの目的が、「期日管理」と「契約の正確な処理」
ということに置かれてるとします
ある年月日において、確実にその契約が更新されるように
もっていく。
こうしたことは、銀行の預金だったり、保険の契約
B to Bにおける、受注、発注など、広い範囲に広がります
システムの設計する人は、利用者がいかに、使いやすく
そして、間違いのない、また、メンテナンスもしやすい
といった、観点で、システムを作っていきます


共通点と相違点
大筋でいえば、同じ目的だね、そこで、止まらずに
あるシステムであれば、期日管理ということに、とても
工数を使ってるということを、理解、その背景を調べてみるとか
別のシステムでは、契約における、フォームを一定のところ
柔軟に変えられるような工夫がされてるとか、そのシステムの
もつ、特性ということがあります
そして、そのシステムのためにやってる、システムの開発者が行うべき
留意点をもった、システムになってる、そういうことがありそうです


システムの設計をやっています
自分の提案を、そのとき、だすということが大事です
その提案は、はたして、目的をよく果たすため、といった
根本に関わることにふれることなのか?
それとも、目的とまではいかず、見やすさといった
そのあとのことになるのか?


共通点と相違点
システムのことを、ひも解いて、自分の関わってるシステムは
どういう成り立ち、どういう背景があるのか、話せるということが
とても大事です


いくつもの、考え方があって、その考えについて、自分が採用するのか
どうか?その点で、共通、また相違してる、と、ここまでやるとすれば
自分を確かに客観視するということに、役立ちそうです


技術者として、成長するって、どういうことか?
人間として、成長することと、技術者としてと、わざわざ、つけるとしたら
どういう観点で、それを言うのか?


私の定義として、技術者は、課題を解決しようとする、と、ひとつ言えると
思います
課題を解決する立場の人。
これだけにしぼっていいかは、別議論
だけど、いまここから出発すると、すれば
課題を解決する立場の人の成長とは?


私のいまの思いでいえば、課題を解決する立場の人の成長とは
複数の視点で、対象の課題について、考えることができるように
なる、になるかと、思います
そして、仮にそれが当たってるとしたら
例えば、世の中の動き、経済も含めであり、人間の心理、相手と
やりとりして、相手を、見極める能力、そうしたことも
とても大事な、要素になると、感じます

話し合いから化学変化

話し合いのすごいところは、化学変化ってこと
お互いが意見をもちより、それを披露してみて
咀嚼するということが、よくできると、起こるのです


働く人のやる気を、いかにだしてもらうか、そして
維持するか?
そういうことを、話し合うとしましょう


たとえば、Aさんの意見
やる気をだす、そのためには、できるだけ本人に
裁量を持たせることだとのこと


Bさんの意見。やる気をだすには、本人がなにを
するのかが、明確になってることだ、とのこと


Cさんの意見。やる気をだすには、相談できる人が
いて、話しやすい場があることだ、とのこと


さて、どれも、ごもっとも。です
でもとりようによっては、裁量をもたすこととt
なにをするのかが明確になってる・・・
あれれ、これ、ある意味「逆」ですよね
そうなると、二人が意見を主張していて、それで
どうなるとなると、平行線?でしょうか?
これだと、相談してものねぇ、みたいなことに
なってしまうのでしょうか?


いいえ、ここで、咀嚼してみるということを
してみたいのですね


本人に裁量を持たせる。一定のところはそういうことも
やってみる。そして、相談、承認をへて、やることが
明確になる、こんなふうに、進められないか?


それから、個別性ということも、気になります
もしかしたら、それこそ、Aさんのように、考えて
判断することがうまい人。そういう人には裁量を
もってもらう。Bさんは、人がなにか言うことを
受け止める、そして、話を整理、またその一段下に
ある意図を、引き出すのが、うまいかもしれない
Cさんは、それぞれの、性格だったり、どんなふうな
やれること、またその状態を、見て、わりふりを
するのがうまいかもしれない


話し合いの、いいところであり、活かし方の
こつは、柔軟に、また、そのときの優先すべきことは
何なのか?話し合いのそれこそ、目的を一致させて
進むということなのです


自分の意見に固執する、といった、「かたい」
「ごつごつ」といったことを、やめる
もぐらたたきのように、思いつきの解決策を言い続ける
といった、咀嚼することに邪魔になることをしない
といったことも大事です


こうしてみると、咀嚼、つまり聞いて、考えて
という要素が、話すうえで、とても大事だと、気づくのです
話し合いは、とても、パワーを生み出す、いい方法なのだと
気づくのです

京都とはなにか

京洛四季 東山魁夷 より


京都における私は旅行者である。京都に生まれたものでも、
住人でも、また、研究者でもない。旅人であるために、私
は自由で、身勝手な感じ方、味わい方が宥されているので
はないか。京都とは何か。京都がもっとも京都的であっ
た平安の遺跡は何も無いではないかと、言われても、画家で
ある私は、平安の息吹をも、京都から感じとることが出
来るのである・・・


この文章に最初にふれたとき、画家である私は・・・出来るので
あるのところ、画家でない自分、そして、画家のもつ、アンテナ
といっていいところに、あこがれこそすれ、そうした
才能に程遠い、自分を思ったときに、おそらくは
京都で東山魁夷が感じたような、京都的なもの、平安の息吹
といったことは、感じることはないだろうと、思いました


小倉山のふもと、俳優、大河内伝次郎が作ったという
大河内山荘の坂を歩いていて、見える、比叡山、視点を
近くにして、仁和寺の塔、大文字焼、東山の峰々
この山の稜線は、大河内伝次郎が、いいえ、江戸時代
室町、鎌倉、平安の世の貴族も、愛でた稜線そのものなのだ
ということが、自分の気持ちにふっと沸き起こったとき


東山魁夷の、「感じとることができる」という心の動きに
似たものが、自分にもあるんだと、小さな感激を覚えたのです


いいものは、いいのだ
きれいなものを、そのまま愛でる
そういう素直で、まっすぐな気持ち
こういうことを、自分は、いかに忘れているか


街の中で暮らして、なにかと忙しいという感じで
動き回っていて、自分の心と向き合う時間というのが
足りないのではないか


今年は、いろんな理由で、家にいることがふえて
否応なく、自分と向き合うということに、どうしても
ちょっとは、なると、感じるのです


自分とはなにか
自分は、生きていて、どういう存在、いわばアイデンティティ
として、どうなのか?
人を育てることに、人生をかける、などと、しゃべったりして
いるが、その覚悟のほどは、どれだけのものか?


自問自答は続くのです
学ぶこと。トレーニングすることで、いろんなことが
できるようになる。そうしたことは、わかっていても
なかなか、毎日のトレーニングって、やる人は少ないものです


学ぶことは、しんどいところもあるのですが
楽しいと思えるときもあるのです
学びが、学びを呼びます
学んでいて、興味がわいたことを、学ぶ
次の興味がわく。
こうしたことが、あたりまえに、誰にでもできる
そういう「場」としての、システマーズ
イメージが浮かびます


忙しいのは、素晴らしい
だけど、忙しく、自分と向き合うのをさぼるのでは
本末転倒。
今年のこの特別な時間を、自分であり、当社も変わる
きっかけにしていきたい