いい意思決定

経営者として、仕事しています
この経営者、社長の役割は「決める」ということだと
なにかで読んで、なるほど、と思いました


人間の考えやすいことは、予想がつくことと思います
ところが、リアルに会社を運営していて、予想がつくことだけ
起こるのであれば、こんな楽なことはありません
予想がつくことというのは、実際少ないとも見えます


決めること
それは、その決定を聞いて、いっしょに汗を流す仲間が
「そうだな」「それがいい感じの決め方だ」というように
納得感があるということが、大事です


そのとき、なぜ?なんでこんな決定をしたんだとなると
その仲間と溝ができたりします
そうなのですが、経営者って、現場の人と全く同じ感覚
というのはありえません


予想がつくこと
やや予想らしきものが浮かぶこと
これを、やるしかないということもあります


決定について、ひとつやり方としては、今やってる仕事の目的を
はっきりさせることだといえます
目的がはっきりしていれば、その目的に近づくことになるのなら
進める、そうでないなら、やめるとシンプルに考えられます


ところが、目的をただひとつにしぼっておくというのは
簡単ではありません


SEを育てて、品質の高い仕事をする
「育てる」こと「仕事すること」が相反するなんてことは、日常のこと
ではないでしょうか


育てるの一点に重点をおけば、納期ということが苦しくなります
そうなのですが、育てるということを、おろそかにしていけば
いつまでたっても、会社の発展も、もちろん教える側のさらなる成長も
ありません


つまり、納期を守り、仕事をするということを、やりながら育てるもする
ということを、やらざるを得ないのですね


決めるということ
去年、今年とベアの話が、社会の大きな話題になり
当社でもベアの実施をどうするという、議論があります
結果から言えば、やるのですが、実施する、なぜ?
もっとお金の使い方はある、そういう議論があるということが
健全だともいえます


決めるということ
誰かの昇進について、決める
ある小説ですが、読んでいると、大企業で社長になった人の
なぜ社長になったのかということを、調べてみると、自分の
上司が社長になって、ひきあげてくれた
そういう、まさにアナログであり、かつ、ひとりの人の感覚
ということに頼って、人事が進むということが、書かれていました


ただ、実際人事の決定をするというときに
実際会って、そして会うだけでなく、仕事を通じてその人を
よく知ってということが、いかに、貴重な情報かというのを
知ると、上記に書いたことは、軽々しく、いいとか悪いとか言えないとも
見えてきます


経営者は意思決定が必要です
今日もすると思います

自由と生きづらさ

自由ということは、生きづらいことに
つながってる?のではないかと、最近感じます


核家族化、都市化というのは、おそらくは、地域のしがらみ
だったり、家の束縛といったことを、なくしていく
つまり自由になっていくのに、都合がいいといえるのかも
しれないです


5年前に、親しくなった、越後湯沢の農家で民宿にて
「このあたりも、地域の人が集まってなにかするというのは
もうないね」という話を聞きました
都市。町だから、そうした地域のつながりがない?と思って
いましたが、実は地方、農家も少ない(と、全部をそうして
しまっていいかは、ちょっとまてもあるかもしれないです)


自由にしていい、それはほんとうに、いいのでしょうか
家の束縛、地域のつながりを感じるというのは、自由じゃない
だけど、安心だし、一定のところ、楽だといえる


私は、人と会うのが好きだし、パーティ、好きだし
そうしたなかで、人と人がなにか語ったりして、仲良くなっていくのを
みるのは好きです
先週も、一部の社員を集まての会があって、我が家で楽しみました
そういう遊び方というのも、やっぱり一回だけだったりすると
どうふるまえばいいのか、わからない・・・何回かやってみると
そういうことが楽しいと思ってくれる人も増えるようです


自由に生きる
それは、めざしたほうがいい、姿といっていいでしょう
だけど、やっぱり責任や、判断といったことが、伴う
生きること、生き方といったことが、どうも探しにくい
というか、変化がはげしい、今の世の中、なかなか「モデル」
といったこともみつからない。だから、いい、だからチャンスだと
そういうことも言えるけど、うまく変化をチャンスにするのも
やっぱり、エネルギーがいります


自分はなにができるのか
若い人が生き方をさがすことの、手伝いかなと思います
人とつながるのが、どうも下手にみえる
いいえ、つながっていますよ、と言いたい人、どうもそのつながりって
上っ面じゃないのかななどと、心配する


若い人が人とつながる・・・
私、誰かの自宅に呼ばれて、なにかということを、うまく利用してきた
そういうふうに、思います
その人の家で、じっくり話す
そういうことは、仲良くなるのに、本当にすごくいいことといっていいのですが
実は少なくなってるということじゃないでしょうか?


パーティはとても楽しくできました
可能な限り、「さぼっていいところは、さぼる」
ということで、紙皿とか、紙コップを使って、洗ったりということは
減らし、料理も、できれば手作りがいいですが、ときには
食材買ってくるということもありでやる


楽しいパーティ、またやりましょう
そして、つながるということがいいなという人を増やしたいですね

 

相手を仲間と思うとき

仲間だったら、相手のことを気にするね
そう、まずは気にするということがありそうです
チームビルディングということを、社内でよくいいます
チーム、人と人がつながってること、を、まず思います


仲間になるということが、どうも下手なんじゃないか
そういうことを、くりかえし思います
社会として、プライバシーが重視され、相手の気持ちだったり
おそらくご本人が、思ってる、大事なゾーンには
ふれない、という方向が、進んでるのは、もちろん
知ってるつもりです


ですが、東日本大震災をへて、そうした、つながりがうすいということが
しんどいのだ、と、気づいた人も多いと聞きます
つながっていない、そうなれば、まさに災害のとき、危険が増す
また、困ったときに、助けてくれる機会が減るのです


都会に住んでいて、日常で「困ったこと」ないですよ
と言いたい人はいるかもしれません。いいえ自分自身だって
災害のような、困ったことは、日々のなかでは確かに忘れてる
ということはあります
ですが・・・


例えば、学びということを、主体的にしようとすれば
すぐ気づくこと
つながりが少なければ、学ぶ機会は減ってしまいます


京大の山際先生の言葉
「人間は、他人とやりとりすることで、学ぶ」


このこと、ほんとにそうだなと思います


仲間になるということ。相手にとって、耳が痛いと
思うことも、あえて、伝えるという気持ちがあること


人間はまちがいをするし、気づいていないで、本人が望んでる
方向と別のことをやっているってことは、あるのだろうと
思います
若いうちなら、まず「迷う」ということが多いと想像します


そういうとき、仮にしんどいかもしれないけど、「あるべき姿」って
こうじゃないか
そういうことを仲間だから、伝える
こうしたこと、何度か経験があって、それは「痛い」のですが
「良薬は口に苦し」の言葉があるように
すごく大切な、ことだと思い出すことができます


生きていくというのは、ときにしんどいことも
やっていかなければ、うまくいきませんね
それを、ひとりぼっちで、乗り越えるのは本当に大変です
仲間とつながってる、そういう感覚のなかで、乗り越える
これが、思う、やってほしいことになります


生きていく、たとえば、働いて、対価を得る
これは、プロとして、相手がなるほどと思うからなりたつ
ということを、覚えておきたいものです

小説を楽しむ

小説の世界で楽しむ、その楽しみ方といったこと
それは、その小説を読む人の数だけあっていいと思います


昨年から、小川糸、森沢明夫という、作家の作品に出会うことが
できたのは、とてもうれしいです
小川糸については、テレビでした。NHK 「趣味どき」という
番組で、キッチン、およびその持ち主を紹介していくという
ストーリィがあり、昨年小川糸が登場しました


キッチンと、その人を知るというのは、私にとっては
とてもいいもの、に見えます。単純に自分が大事にしてること
自分が好きなこと、これが共通なのだと、すっと理解が進みます


キッチンが好きということは
ほとんどの場合、友人なりを自宅に招いて会食するのが
好きということがあります
小川糸がそうでした
機会があれば、小川糸さんの料理をぜひいただいてみたいと
思いました


小川糸はエッセイも人気でちらみしたのですが
そのなかで、本を書く、その伴走する人といっていい、編集者を
自宅に招いて、会食する、という場面があっていいなと思いました


小川糸、たとえば、編集者と喫茶店だとか、先方の事務所で
打ち合わせするより、会食をしていろいろ話したりしたほうがずっと
仲良くなれますと、語ります


このこと、これも単純化していえば、ただ、言葉、つまり頭で
いろいろやるのより、胃袋もいっしょに使ってやると、仲良くなれる
そういうことと、思っています


人と人が仲良くなれる
これは、とっても大事なことといってもいいし
私にしたら、日常的というか、繰り返し、何度でもやりたいことの
ひとつです
まして、その相手が、なにかしら、今後続いてなにかやるとなれば
ぜひ、してみたい


もちろん、やり方はその場、その相手、状況などで選んだほうがいいですね
自宅がいつも最適ともいえないでしょう
だけど、選択肢のひとつとして、自宅に招くということがあると
やり方がとっても、豊かといったらいいか、いいですよ
一度、お店で会食して、そのあと自宅に招くということも
いいと思いますし
いきなりでも、全然だいじょうぶということもあります


小川糸のキッチン、ちょっと興味津々です


作家がみせてくれる、世界というのは、小説で楽しんでみて
いいなとなれば、とてもそれだけで、楽しいといっていいでしょう
今、というかこの令和の時代、家族で過ごす、家族がいい感じで
存在するということが、とても大きく、また、ぜひみんなそうしようといった
価値として、あるといっていいかなと思います


小川糸の、見せてくれる、家族のあれこれは(作品の一部からみえるといいますか)
とても、あこがれる、こわれかけても、だいじょうぶみたいな、安心感
そして、家族っていいんだと思わせてくれる、あたたかさでしょうか
感じますね


キッチンから小説へ、そんなつながりが楽しいです

SNSの楽しさの再発見

SNSで知り合っている人
そんな人がいて、実際偶然リアルで知り合い、そのあとで
実はSNSでつながっていた人だと、わかる
これは、きっと、あることともいえるし、そうなったら
親しくなるのだろうなと、想像します


SNSではないです。前から知っていた、知り合いについて
実は共通の作家が好きだということがわかって、ぐんと
その人との距離が縮まったと思えたということが
あります


この逆というのは、実際、そんなに簡単ではないとも
いえます。お互いよく知ってる、そして、たぶん、感性ということも
重なるところがあると思える人と、あるアーティストだったり
小説を読んで、その楽しさ、また自分が受け止めるところを
共有できるのかというと、それは稀といっていいことだろうと
想像します


人間の感情の、いろんなアンテナ、また感じるつぼといった
ことは、かなり複雑で、そうそう、あたるということは
少ないとも思います


こういうふうに書いてみて、冒頭に書いた、SNSで、なにかしら
自分の感情のつぼといったことを、共有できてる相手というのが
いるということは、楽しいとかいう、レベルを超えて、かなり
すごい、つながりだということも言える、と気が付きます


だいぶ前のSNS上、mixiでした。mixi上でのやりとり
そのとき、オンラインで親しくなった、正確にいえば
間接的にはつながりがある、ある人を仲立ちとすれば、
つながってるともいえる人がいました
その人が、自分の親子の関連の話題を、SNS上にふっていて
そのことが、半ば我がことのように、思えた自分がコメントをして
それについて、書いた本人がコメントバックしてと
そんなことをして、オンライン上ですが、親しくなったことを
思い出しました


ときどき、SNSでのやりとりを多くしてると、どうかすると
偶然のチャンスというのが減ってしまって、おおげさにいえば
人生の宝物になるものを、自ら、手放してるといったような
そんな感覚をもっていたのです


ただ、オンラインでつながって、そういう、気軽さ、またつぼに
はまったコミュニケーションというのができてしまうということ
これが、実は、いままでには(SNS以前には)なかった、親しさ
出会いの楽しさがあるということも、みつけられるような
そんな感じがしてきました

 

こんな話、あんな話・・・

親しい人と、家族の話をするのは、とてもうれしいことですね
高校時代の仲間と読書会、を、何度かしています
そんななか、「家族」という話題で、盛り上がったことがありました
自分の子供の話。自分と似てる子ども、自分とはちがってみえる
子ども。
夫婦でのあれこれ。意思決定するときの葛藤とか
相手を受け入れてるよさ、相手のことが、うまく理解できないときの
感覚など


読書会という、やり方も、親しくなれるし、いろんな話題で
話せるということで、なかなか得難い、機会だといえると
感じます


読書会のやり方を少しなぞって、わが社の会議にとりいれたりも
しています
それは、共通のインプット、事案、考え方を読んで、それへの
見解を言ってみるということがそのやり方です


会議である意見を言うということ
いつも思うことは、意見なり、言う、その言葉について
人にはそれぞれ、言葉に対する背景といったものがあって、当然ながら
その人の今までの生きてきた道筋によって、その背景というのは
ずれ、があるのですね
そうなると、意見そのものを、しっかりそのいった人の意図に
沿って受け止めるって、微妙なニュアンスまでいれるとすれば
結構難しいのですよ


それを補うという意味で、共通のインプットがあったうえで
意見交換というと、だいぶ、そのやりとりが、くっきりしてくるという
ことを、何度か経験しています


会社において、意思決定なりするときに
十分、意見交換なりされてることって、ものすごく大事ですね
そうなのですが、レベル感、ちょっとしたニュアンスを含めて
その感覚を知っておくといった、ていねいな対応をしたいというときに
意見を言うということ、相手にしっかり伝わるようにやるというのは
そうしたなんども、意見交換してること、さらには、リアルタイムで
事象をいっしょにとらえてみる。仕事しながら、その解決策など
考えてみるといったことが必要と思えてきます


たとえば、親しくしてる人と、リラックスした場面で
なにかしら、話してる。それは、仕事の場ではないですから
なにかしら、ずれなりがあっても、困るといったことはない
ですが、やっぱり興味がわいたりすれば、もっと深く知りたくなる


仕事上のつながりがなくて、親しい、つまりプライベートの
たとえば、趣味の世界だけでつながってる、学生時代の流れで
つながってる(だけ)の相手。そういう相手と話していて
そうだけど、もうちょっと話を深いところでしたい
そうしたとき、どうするか?


ひとつの方法としては、やっぱり想像力を働かせてこうなのではと
やって、話をつなげるのでしょう


プライベートにおける、いろんな話も楽しめる
ときにはずれていてもいい。うまく話をつなげるのは、いろんな
意味でのストライクゾーンをひろくとっておくということに
なりますか


家族の話、自分の好きなものの話
できれば、ないかしら、粉飾するのでなく、ありのままの
自分をそのまま、さらけだす、そんなことができる、場ばいいし
そういう相手がいるというのは、人生の宝物といっていいのでは
ないでしょうか

鎌倉案内

鎌倉にやや近いところに住んでる、友人と
鎌倉で会おうかなと思います
鎌倉に、いいなと思う店があるなということ
これは実は最近になって、思ってることです


鎌倉、自分のなかでは、寺があり、古都の歴史を刻んできた
場所として、中学生くらいから好きです
いい寺には、いい空間、静かさがあって、ときどき
行ってリラックスする時間がもてるというのはすごくいいな
になっています


鎌倉が、別荘地として存在していたんだ、これも実は
かなり最近、10年とかで気づいたことです
東京に近く、それでいて、山、海といった自然が感じられて
人気があったといっていいでしょう
だから、そういう別荘でほしいような、食べ物、などを
売る店があるんだと、そう最近気づいたのです


駅の近くでのお気に入り
「天ぷら ひろみ」
味は確か、ですね。なにか今日はおいしいものが食べたいとか
ちょっと、記念日的ないい感じにしたい昼に、天ぷらひろみは
すごくいいでしょう
変わったものはありません。天ぷらだねも、エビ、白身魚、野菜
だけど、素材にしても、おそらく使う油といったものにしても
いいものを使ってるのがわかる


カフェなら、ヴィヴモン・ディモンシェ。
ここのコーヒーがおいしく、またブレンドが私の好みに近くて
とっても気に入りました
だけど・・・いつも混んでいます


鎌倉のいいところは、寺、自然、そして店とあるのですが
困ったことは、人が多すぎ、道路もいつも渋滞ということでしょう
人が多いんだなというのは、このヴィヴモン・ディモンシェの混み具合
店の前に、私がいくような時間には(昼間のいい時間)行列です
これだと、ちょっとねぇ・・・


実際のところ、カフェはそこそこ、たくさんあって
それも駅からちょっと離れてあげれば、結構席はあいてるということも
あります
鎌倉宮の近くでみつけた「カエルカフェ」
ここの庭のゆったり感
きりもりしてる、家族の感覚
なにか、余裕のあるいいおうちに、招かれたようなそんな
気分で、ランチ、お茶ができます
これも、鎌倉ならでは、なのかもしれません


鎌倉は一日、休日を過ごすのに、とっても魅力たっぷりのところです
ですが、混むということで、敬遠されてしまいますね
そんなとき、上に書いたような、駅から離れて、人もそこそこ
そういうところで、実際時間を過ごすっていうのは
とても、いい感じですね


作家だったり、画家もたくさん、鎌倉気に入ってると、言い残してる場所
です
できれば、そうした、アーティストが好きだという鎌倉のよさが
残っていくような、そういう町でありつづけてほしいですね