成長と尊敬

成長のチャンス


成長のチャンスを、逃さない
このことが、大事なことと、思っています
社内で行ったミニ研修。「仕事はなぜするのか」「仕事は誰のためにするか?」
こうした問いに対して、自分の祖父が80歳まで仕事したことという
身近なことを、あげて、なぜそうしたのかということを
知ろうとしてる、社員がいます


おじいさん、の、なぜに対しての回答は「仕事が好きだから」だったそう
この「好き」にどんな思いがあるのか、知ってほしい
そのニュアンスを受け止めてほしいなと思いました


仕事していく、だとか、どう生きるか
といったことについて、やっぱりほしいのは「モデル」なんだと
思います


あるスポーツで、目立つ活躍ができた、選手が身近にいると
そのまわりで、たとえば地域で、学校でそのスポーツが
盛り上がるということがありますね
これは、その活躍できた選手がモデルとなって、あんなふうに
やってみたいという人が増えるということですね
これは、スポーツにとっても素敵なことだし、もちろんその後、モデルを
追っかける人からさらに活躍する人がでれば、素晴らしいことに
なりますね


生き方、といったことも、そうしたことがあると、思います
私の身近には、曾祖父といっていい、存在がいて、明るく自分たちを
照らし続けていました
あるとき、その曾祖父の存在を、そのとき尊敬していた、恩師に話したところ
あなたにとって、素晴らしい存在じゃないかと教えてくれました
曾祖父は今でも、自分のなかで、道を示してくれる、大事な人(思い出)に
なってるといっていいです


ある存在を、尊敬してる人に話す
そうした行動がキーになる、ある生き方を追っかける、扉を開くことに
なる、そういうことを思います
尊敬してるという行為が、ある扉に手をかけることを、後押しする
ともいっていいでしょう
尊敬ということは、素晴らしい心の動きです


尊敬してる人と話せば、その人が発するいい話を全身で聞くでしょう
こちらが体験したことを、尊敬する人に伝えたいとなれば
それは、自分の存在をかけた、アピールをするでしょう
わかってほしいから、そして伝わったなというときの喜びはひとしおでしょう


そういう尊敬するということが、実は減ってしまってる?そういうことも
気になりますね


成長のチャンス、そうした体験、出来事があって、そのことを
しっかりつかめるか?
チャンスをものにするということが、すなわち成長につながるということを
改めて、思います
チャンスなんだと認識できる、このことがほんとに大事なことです

秋のメニュー

炊き込みご飯が好きです


秋なら、栗が浮かびます
ご存じのように、栗の皮をむくというのは
結構手間がかかります
ですが、まさにスローフード、時間をかけて
食事を作るということを、やるということに
意味があるとも思います


ときどき、近くに住んでる叔母に栗ごはんを炊いて
届けたことがありました
これ、作るのに手間ひまがかかるということと、つなげて
いい感じの時間なのです
つまり、叔母とのこれまでの思い出などを思い出しながら
作ります
その時間こそがいい時間です


年間を通じて、安定して食べたいのが
きのこご飯でしょうかね
えのき、しめじ、しいたけ、スーパーで手に入る
そういうきのこと、油揚げくらいで、いい香りの
炊き込みご飯ができます


ここまで書いていて、ご飯のおいしさということが
ポイントなんだと、気が付きます
もちろん、栗でもきのこでも、単独でもおいしく
食べられますね。だけどこれを炊き込みご飯に
すると、一段とおいしさが、ふくらみます


炊き込みご飯の定番中の定番といっていいでしょうか
鶏の炊き込みご飯
私のやり方は、鶏のもも肉、さっとフライパンで
皮のついたほうを焼いておく
それを、炊飯器で、吸水をすませたコメのうえにおいて
そのほか、にんじん、油揚げくらいでしょう
これで、おいしい炊き込みご飯ができますね


魚介類が好きな自分としては
貝の炊き込みご飯もおいしいですね
最近は、簡単にということでは、あさりのむき身を用意して
それで炊き込みます


肉にも、野菜にもない
滋味あふれたといったらいいか、そういう味わいです


こうしておいしい炊き込みご飯を、メニューにいれると
食卓のバリエーションはふえますね
炊き込みご飯だと、おかずは減らしてもいいねという感じも
助かるところです


秋は実りの季節ですね
春は芽、夏は葉、秋は実、冬は根を食べるといいますね
その実をいただく季節にようやく(ほんとにようやくですね)
近づいた感じ


聞いたところ、オクトーバーフェストという、収穫祭
みたいなお祭りってあるんですね
農家の知り合いなどいない自分には、収穫祭といったことは
ぜんぜん、身近ではないのですが
収穫祭の雰囲気だったり、その感覚ってあこがれる
ものがありますね


猛暑があったり、お米が不足なんてニュースもあったり
心配だなと思うことが多い、このごろですが
収穫祭のような、豊かななにかというのが、お祭りには
参加はないかもしれないけど、その雰囲気で、食卓を
ゆたかにしたいですね

管理職

管理職とは、どうあるべきか
社員に対して、こういうことをしてほしいと
行動することを指示できる、またそのやったことについて
評価できる、ということでしょうね


会社にいて、自分の上位者という立場の人と、いい感じで働く
ことができる、これはとてもいい状態といっていいです
いいかえると、自分の上位者としっくりした感じで、話し合いしたり
どう行動するかについて、ずれがあったりしてもめるというのは
仕事自体やりにくいし、モチベーションも下がるでしょう


話し合いをしたり、どう行動するかでずれる
これ、すべてが悪いわけではないともいえます
自分は自分の考えがあって、やり方だったりこうしたほうがいい
ということを持ってるというとき、上位者とすりあわせする
必要がでます
こうしたことは、上位者であり、会社そのものにということですが
余裕と、柔軟性があれば、ですが、さらに仕事がいい方向にいく
大事なポイントといっていいかもしれません


管理職はどうあるべきか
仕事がうまくいくように、担当者とその管理職の所属する
組織の方針、さらにはそのうえの、立場の人をつないで
いくということもいえます


ときどき、思うこと、部長、だったり、経営に関わる人
というのは、実際手を動かして仕事するという立場から
離れることは必要ですね
実際の実務をやっていると、その実務の状態に、意思決定がひっぱられます
実務に近いほど、それは好ましいと思うかもしれないですが
会社の経営って、担当者さえよければいいというと、偏るといっていいです


もちろん、その担当者から離れても、見ていて、報告は受け取る
ということは大事です
そうした情報もあって、あるべき姿に沿った判断をするというのが大事です


管理職のさらに上位の決定者が正しい判断をできるのか
これも、管理職がその職務をどうやってるかにかかってると
言っていいと思います


管理職をみれば、その会社がわかる、とか読んだことが
あります
確かに、管理職がやるべきことをやって、その実際が充実してる
ということは、管理職の指示で動く担当者も元気
管理職から報告をうけて決定をだす、上位者も、いい意思決定が
できるといえそうです


管理職はどうあるべきか
こんなやりがいのある、立場はないということに
みえてきます(と、つい経営側の自分は思いたくなる)
もちろん、やりがいがあるから、たいへんだともいえます


管理職はどうあるべきか
今当社の管理職と時間をかけて、話し合う
そういうことを続けたいですね

旅にでたい

旅にでたい


芭蕉の「漂泊の思い」に似てるのか
どこかに行きたい。見てみたことのない景色を
みてみたい。行ったことのない寺を訪ねてみたい


歴史のある場所を訪ねたいと
漠然と思う


歩いて、景色に出会って、山だったらその姿を神を
あがめた人の気持ちを追っかけてみたい
画家がみた、景色をみて、ちょっとでいいから
画家の気持ちを追っかけてみたい


世田谷に向井潤吉という画家の自宅が、ギャラリーになって
公開されています
茅葺き屋根の家のある風景が続きます


あるとき茅葺き屋根というのは、葺き替えにとても
手間がかかるということ、それは地域の人総出でやる仕事で
そうしたことは、地域社会がつながっていないとできない
という話。


そして今信州を旅すると、かつて茅葺き屋根だったであろう
家の屋根はトタン板になっていますね


茅葺き屋根
高校時代からの友人と話していたら、自分たちが10代のころは
まだ金沢文庫からほどちかい、その彼の家のすぐ近くには
茅葺き屋根の家がまだあったということ、目からうろこの話でした


旅にでたい
なにかをみつけてみたい


いっとき、うつわをめぐる旅ということが、我が家でブームでした
運よく、窯元で作家の方に話が聞けたりしたときは
うれしくて、楽しかった思い出になっています


ときどき、日本はうつわづくりについて
手作りでやっていて、採算がとれている(なんだろうと思う)
作家が相当数いるということに驚きます


値段でいえば、数倍の差がある、手作りのうつわを求める
人が相当数いるのだという、こういうことに、ちょっと驚きます


そうしたことを、思ったり、うつわを手に取ってときどき
連れて帰って使ってみたりしながら、なぜだろうと思います


あるとき、うつわの良さは使わないとわからないよと
鳥取、岩井窯の山本さんという作家さんに教えてもらいました


確かに眺めているだけでは、うつわの良さはわからないでしょうね
うつわも育つのだということも聞きました


旅にでたい
旅にでて、なにかを感じたい


思い出すと、中学生とか自転車が、ちょっとふらりと
でかける手段でした
それでも、結構遠くまでいけるし、またそのころの横浜南部は
まだのどかな風景もありました


一番実家から近くてお気に入りは
坂のうえの海の見える丘でした
海といっても、ところどころは工場だったりで、ほんとに
風景のある場所だけ、海がみえているという感じなのですが
海をみるというそういう非日常がそこにあるという感覚が
好きでした


旅にでたい
旅で、なにかをみつけたい
そういう思いがずっとある、それも楽しいと思っていたい

1on1

1on1ということが、言われるようになって
1on1について、うまくなりたいと思います


企業のなかで、1on1をやる、基本は上位者と下位者
つまり立場はちがう人が、やるということが多いと思います
上位者と下位者、先輩と後輩という意味もありますし
評価する側、評価される側という意味もあります


そうした二人がいっしょに話して、理想としては、下位者の人が
くったくなく、自分のことが話せて、理解が深まるということ
だと思います


理想として、自分自身のことを、相手に話す、理解してもらう
そういうことができれば、いろんなことが、うまくいく
ということを感じます


ですが、まず自分自身のことを、理解してる、ということが
うまくいっていないということが、まず、うかびます
自分のことを理解するというのは、実は大変なんですね


自分がやってる仕事に対して、どういう気持ちでやれているか
モチベーションが高く、ステップアップするということに
気持ちが安定して向かってるとなると、必ず、いいほうにいく
と思います
ですが、そのいいほうに行く心の向き加減というのを、自分で
把握するというのが難しい。かつ、その継続性みたいなとなると
また難しい


さらに、一応理解できて、伝えたいと思ったとして
伝えるということが、ストレートにできるかどうかというのが
また、語彙の問題、相手に対してどこまで開示していいか
といったことが、うまく把握できないといったことも起こります


ではどうするか
ひとつの処方箋としては、受け取るキャッチャーである上位者が
うまく表現できない、うまく自分自身をとらえてない人と
1on1やって、一定のところ、こうなんだろうと、受け取る行為が
うまくなるということだと思います


さらには、1回で終わらせないで、複数回やることで
少なくとも、相手が緊張しすぎないということをして
できれば、なにげない話からでも、下位者が気にするレベルというのを
把握しておくということでしょう


あるとき、1on1やっていて、その対象者が「失敗する」
それも大したことでなく、ちょっとでも失敗するということに
ついて、私が想像するより全然大きなインパクトといった
感覚で、嫌がってるのを、感じました


仕事で、特に若いうちというのは、失敗はつきものといっていい
でしょう。少なくとも若い人がなにかしらやらかしても
普通、企業であれば、一定のところ、取返しがつくように
仕組みを作ってるものです
ですから、やらかしても、誰かが気づくという感じで
やらかしがわかって、それがチームのなかで取返しがつくのなら
いってみれば、失敗はやったほうがいいという場面も多い
といっていいと思います


失敗してみて、どの程度の失敗がチームに影響を
与えるのはこんな感じというのがわかってる
そういうことが、仕事のなかでは、必要な要素だとともいえます


さて、1on1
関係づくり、チームがいい状態にいくように
どう生かしていくか
ここが、企業の命運がわかるといっていい、大事なことと
最近何度も思います
人と人が、いい関係をつくってこそ、企業がなりたちます
まずはやってみましょう

風神雷神

俵屋宗達が、尾形光琳が描いた主題
後に琳派と呼ばれる人が、ずっと描いていて、このことを
描く人は琳派といっても、つながりそうとも思う


日本人は、海だったり岩、山、といった自然と神を
いったいとしてきたといっていい。だったら風も雷も
神とみていい、とつなげてしまうのは、安易でしょうか


昨日ツィッターに、雷が鳴って、風神雷神を思い出すと書いたら
はじめてみる人が昔の人も恐怖を紛らわせるため、疑神化を試みた
みたいなコメントがはいっていて、面白かったです


琳派に共通するといっていいかもしれないですが
どこか、ユーモラス、フレンドリィといっていい、表情なりが
あるということ
これ、江戸時代という時代背景もあるかもしれないですけど
ここが、面白い
徳川政権を否定して、なりたった、明治以来のいろいろに、ひっぱられて
いますが、実際江戸時代の特に文化といったことは、もっと
見直したいと思うこのごろです


明治以来のものに、ひっぱられる
教科書がまさにそうですね。幕末の黒船来航
これに、対して、駄目な外交をした、徳川政権と教科書では
なっていますが、見直した目でみた(NHKの番組ですが)ときの
徳川政権は、外国との交渉をするのならアメリカだと
選んで、狙い定めて、アメリカを呼び、いろいろしたたかな
交渉もした、と、みることができました


さて、江戸時代の文化
今年お札が新しくなりましたね。新しい1000円札の図柄のひとつが
神奈川沖浪裏なのですね。それを記念して北斎美術館では
北斎が、あの動物の手にも見える波を描くようになった
経緯を中心の展示がなされていました


北斎というのは、「天才絵師」といったイメージがあります
そうなのですが、今みても新しい、斬新ともいえる、波の表現は
北斎でも、いいえ北斎だからでしょうか、「積み重ね」のいろいろが
そこまでの表現をできるようにした、とあります
具体的には、ヒントになる絵に影響されたりが、あっての、表現の
ステップアップといったことを、北斎美術館の人は言いたいようです


「天才」というと「努力」ということと、かけ離れてるという
感覚がどうもでてしまいます


実際、天才といっても、努力があってのことといっても
いいのかもしれません
高校時代に聞いたこと。長嶋茂雄王貞治といった、当時のスターと
いっていい、野球選手。天才といっていいと思っていましたが
「努力することにおいて天才」とのことでした
このことは、実際、王、長嶋の活躍をみていた、自分たちに大きな
はげみとなりました


話はもどって、風神雷神
出光美術館、今年いっぱいで休館とのこと
そのまえのコレクション展でみた、酒井抱一風神雷神
解説にすっきりと描いてると、あります
それにしても、存在感。すぐ近くに伊藤若冲のエキセントリックな
絵もあったのですが、存在感で劣らない


ある面シンプルに描くというのは、酒井抱一のスタイルといって
いいのでしょう。ですが、先に書いたユーモラスな
であり、神としてみる、一定の高貴さというのは、しっかりある
のでしょう
酒井抱一がいいなと思えました

立場と客観的と世の中の変化

自分のやってることを、客観的にみるようにすること
これは、少なくとも人と関わって、仕事するときの欲しい態度だと
いえると思います


ただ、客観的という態度が行き過ぎれば、自分のやりたいと
思ってるそのことが、ぶれてしまうということが起こると
感じます


コスパの追求。買う立場からすると、安いのはありがたい
作る立場を思うと、必要なコストはかけるという立場
つまり値段はあがるということ
コストを下げるという、スタートから考えていろいろ工夫する
そういうこと大事だと思う
だけど、コストをさげて、品質もさげていいのかということが
いつも、でてくることだと思います
こうしたとき、客観的にみて、品質は高く、コストは低くといった
態度で臨めば、打つ手というのはせばまってしまうともいえるでしょう


ある立場、ある視点というのは動かさない
そういうことが、なにかを進めるときには、必要な決め方
といっていいと思います


いろんなことが、必要なのが、生きるということにおいて
普通にあるといっていいと思ったほうがいいです
世の中は複雑かつ、生きもので変化するからですね
そういうとき、「変えないもの」「変えるもの」は
なにか、つかんでおくということも大事です


人と人が信じあう
そういうことが大事とずっと思ってきました
そして、変わるのが世の中といっても、人と人の信頼は
変えない、変わらないとどこかで思っています。
ですが・・・
このところ、その考え?大丈夫と思うこと
信頼の、ひとつの大きな、構成要素といっていい
人と人の距離感がいい感じでわかること、こういうことが
自分(昭和30年代生まれ)と、平成生まれの人は大きくちがう
ということがありそう、と、感じています


世の中が変わる
もちろん、変わるのは止められないし、変わったほうがいいことある
だけど、その判断をする、大本といっていい、信頼という
概念自体が変わってしまってないか?


さらには、最近読んだ、「何回説明しても伝わらないはなぜ起こるか」
今井むつみ 著作によれば、人間は(自分の都合のいいように)自分の
記憶を書き換えるということが、あるといいます


何を信じたらいいのでしょうね
自分の記憶も書き換わるのが前提と思っていたほうがいいといいます


一日、一日を大事にする
その書き換わることが起こる、日々のいろいろを、大事な場面は
これが大事だね、信頼に近いなにかがあったら、こういうことから
信頼につながるんだよ、そう伝え合う、教えあう


人間の生きること自体の、感覚についてメンテナンス
するということが、大事だと頭に浮かびます


さて、できるのでしょうか
いいえ、選択の余地がない、とも思えますね